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境界性人格障害の人達の行動への対応
境界性人格障害の人は「私は命をかけているのだから、あなたも命をかけて私を救うのが当たり前だ」ということを必ずいいます。
具体的には、彼らはあなたの行動を逐一把握したいので、四六時中、携帯電話をかけてきたりメールを送ってくるでしょう。
しかし、そのときあなたは勤務中で電話に出られなかったり、メールの返信ができない状態にあって、彼らに応対したり返信を出せなかったとしたら、彼らは激烈な行動、たとえばリストカットや人温みの中で倒れて救急車を呼ぶ、大量飲酒、大量服薬、薬物使用などをすることでしょう。
そのとき、もしあなたが助けに駆けつけたら彼らは狂喜乱舞するでしょう。
そしてあなたもホッとすることになります。
けれども、彼らは、すでに1回自分を助けてくれたあなたのことを次回も助けてくれると信じ、今度はもつと激しい行動を起こすことになります。
もしもあなたが、彼らの「見捨てられないための努力」を受け入れると考えているならばあなたは自分の生活のすべてを彼らに捧げるつもりにならなければなりません。
ときにはあなた自身の生命の保証も危うくなる可能性さえあります。精神科医でさえも、境界性人格障害の人に振り回されて自殺した人もいるのです。
しかし、残念ながらあなたが自分の生活を犠牲にしてまで彼らを支えようとしたところで、その努力は報われることはないでしょう。
なぜならば、あなたが受け入れてくれることに対して、彼らの中で「倦み」が生じるからです。
私たちは彼らの「見捨てられまい」とする行為が正常範囲を逸脱するようなときは、できる限り速やかに彼らと一歩距離を置くか、彼らといっさいの縁を断つしかないのです。
「この人との関係性はもうだめだ」と観念したときの彼らは、驚くほどの素早さで身を翻します。
それまでの関係がまるでなかったかのようにいっさい連絡をしてこなくなります。ほんとうに鮮やかに態度を切り替えるのです。
ですから激烈な反応を彼らが起こしてもそんなに心配はいりません。
たしかに彼らは離れる当初は強列な行動を起こしますが、いったん離れたらきわめて鮮やかに、あなたへのこだわりをすっかりなくしてしまうのです。
不安定で激しい対人様式
彼らと付き合っている中で、私たちへの態度が瞬間的に入れ替わることは日常茶飯事です。そのため私たちが彼らとどれだけ友好的に安定した関係を築こうとしても無理なことです。
なぜなら安定した関係は彼らには居心地が悪く、本質的に体になじまないからです。
彼らの特徴のひとつとして、リラックスした状態がむしろ落ち着かないというのは、安定した状態が苦手であるということと同じです。
だから私たちは、彼らと長期的で安定した関係性を望んではいけません。彼らの私たちへの評価が時と場合によって大きく変化することに、驚いてはいけません。彼らは現実原則よりも快感原則が先立つので、すぐに感情的になります。
彼らと付き合うことはむずかしく、深い情緒的な交流は避けるほうが望ましいでしょう。
私たちは、彼らが「不安定の中の安定」を得るための対象となる人物になってはいけません。
また彼らが一過性の「不安定の中の安定」を得ているときでも、安心してはいけません。なぜなら彼らは新たな「不安定の中の安定」を得るべく、常にアンテナを張り巡らせているからです。
「倦む」ことを恐れる彼らは、より新鮮で刺激のある関係性を望んでいるのです。
しかし一過性にしろ、安定を得ている彼らの多くは付き合うに足る人間です。
彼らの多くは能力がある人が多いのも事実であり、彼らの激しさに巻き込まれさえしなければ、有能な人という印象も受けます。
彼らは創造的な能力を持っていることが多く、彼らの自分自身の体を賭してまで示す、周囲の人に対する振り回す力は、それはそれで私たちにはない一種の能力と考えることができます。
だから、彼らの潜在的な能力がプラスに働けば、私たちにも大きな利益をもたらすようになることもあるのです。
不安定な自己像
不安定な自己像を措いている彼らが「自分は何者か」という問いかけを私たちに発してきても、それに対する解答を考えるのはむだなことです。
なぜならそもそも「自分が何者である」という役割を与えられることをなによりも恐れているのが彼らなのですから、「自分が何者であるか」を決めることなど原理的にできないことなのです。
したがって私たちは彼らに対しては、自らの意思で自らの役割をつくり上げるような立場を構築できるようにアドバイスすることがよいのではないでしょうか。
けれどもその際にはその渦中に巻き込まれないように注意しなければならないのはいうまでもありません。
衝動行為
自殺行動や、自殺のそぶり、脅し、自傷行為などが出現しているときには、彼らの衝動行為をやめさせることは非常に困難です。
なぜなら彼らの衝動行為は私たちの了解の範囲外にある悩んでいる青年期の心の問題わけですから、理由づけをしてやめさせることがむずかしいからです。
「自分のためにならない」とか、「将来、後悔する」などといった常識的な説得はなんの効果も生み出さないことは明らかで、むしろ彼らはその言葉によってより自虐的になることさえあります。
彼らが自殺行動、自傷行為を用いて私たちを操作しょうとする場合には、私たちは振り回されないようにするために強い意思が必要です。
中途半端な情け心は彼らの衝動行為を激しくさせるだけです。
自殺行動、自傷行為でもっとも多いのはリストカット、次いで大量服薬です。
重症になれば救急車で運ばれ、リストカットならば縫合が必要になるし、大量服薬では数日間の入院になることもあります。
ほかには飛び降りも見られ、重傷の場合は骨折することもあります。しかし、自殺行動が完遂する、つまり死に至ることはめったにありません。
自殺行動、自傷行為はその他の精神障害に比べて、圧倒的に多くみられますが、実際に死に至ることはまれなのです。このことを私たちは彼らと付き合うときによく覚えておかなければなりません。
したがって私たちはきっぱりとした態度で彼らに臨むことが大切です。
自殺行動、自傷行為を目のあたりにしたら、冷静に、毅然とした態度で救急処置をして、必要ならば救急車を呼び、入院を要するならば、その手続きをすればよいのです。
そして「これ以上あなたとは付き合えるない」といわなければなりません。怯むことなくきっぱりと告げるのです。
彼らは「そんなことをいうなら、また死んでやる」というかもしれません。けれどもほんとうに死ぬことはまずないのです。
自らのすべてを犠牲にするつもりがあなたにないのならば、毅然と言い放てばよいのです。
繰り返しになりますが、彼らは、どんなことをしてもあなたが戻ってこないと観念すれば、こちらが拍子抜けするぐらいあっさりとひき下がるのです。
そして次の共生関係を構築する相手を探し出すのです。
感情の不安定
私たちは彼らの感情が不安定なものであると認識しなければなりません。
彼らがわがままでそうしているとか、自分たちに悪意を持ってしているとか、気を惹こうとしていると考えてはいけません。
そうではなくて彼らは本質的に不安定な感情を有しているのです。
彼らの気分がコロコロ変わるからといって、私たちはそれにいちいち反応しなくてもよいのです。
彼らがいまはこういう気持ちなんだな、ついさっきまでは違っていたなと中立的な態度を崩さないようにすればよいのです。
しかし、中立的な態度は彼らの反感を買うことになります。
理不尽な怒りを私たちにぶつけてくることでしょう。
「あのときはこういったくせに」とか「すぐによくなるといったくせに」などと、私たちの揚げ足を取って責め立てられても、感情的にならずに一貫した態度を取る必要があります。
そのために私たちは、とにかく「いま、ここで」のことを話題にしなければなりません。
そのときはダメでも、「いま、ここで」を繰り返すことによって、しだいに現実的な交流がほんの少しずつであっても可能になってくるのです。
慢性的な虚無感
彼らの虚無感に巻き込まれないことが必要です。彼らは虚無感に苛まれると自分は死にたいと必ずあなたにいうでしょう。
そして、もし、あなたに大切な用事があっても、彼らのためにキャンセルしたら、そのとき彼らは大喜びすることでしょう。
しかしそれは、あなたにとってぬか喜びでしかありません。
それ以後、彼らはあなたにすべての用事を自分のためにキャンセルするように仕向けるでしょう。
そしてあなたがそれを断ると、彼らは必ず死ぬといってあなたを脅すことでしょう。
それをもしあなたが無視すれば、彼らは自殺行動、自傷行為に及ぶことは必至です。
あなたが最初からそのことを察知することはむずかしいことです。
それでもあなたはそうならないために日ごろから注意しなければいけないのです。
いつも虚しいと話していて、嬉しいことがあっても長続きしないような人にはとくに。
不適切な激しい怒り
彼らが最初からイライラしているようならば、会っても生産的なことはなにも生み出しません。早々に会うことは切り上げたほうがよいでしょう。
しかし、どうしても大切な話があるならば、彼らの気分変動の早さを利用する必要があります。
それでもイライラしているときはなにをしても不適切な怒りを向けられるだけなので、いったん、どうにか理由をつけてその場は散会し、数時間たったあとで会うようにしましょう。
彼らには見捨てられ不安も存在しているので、いったん離れることによって、不安が喚起されて、あなたと良好な関係を築こうとするかもしれません。
もちろんそうではないことも多いので、そのときはあきらめるしかありません。
また、私たちがある人と付き合っていて、理不尽な激しい怒りをよくぶつけられると感じたら、その人は境界性人格障害かその傾向を持つ人だと思われます。
その理不尽な怒りは親しくなってから発生します。
なぜなら、親しくなることで無意識にいやな気分を投影しやすい対象にあなたがなるからです。
したがってそのような人とは距離を持って付き合ったほうがよいかもしれません。それほど親しくならなければ問題はあまり生じません。
それでもあなたが彼らと付き合うつもりならば、あなたは自分の人生を犠牲にする覚悟が必要です。
あなたが振り回されればされるほど、彼らの理不尽で激しい怒りはエスカレートしていくことでしょう。
しかし、いずれは、そんな関係にあなたは耐え切れなくなるだろうし、そうでなくても彼らは、あなたとの関係に「倦み」、関係を解消しようとすることでしょう。
妄想と解離
彼らに妄想が出現しているときは、彼らの現実検討能力は低下し、あるいは歪められています。
そのときは彼らの状態は相当悪いと判断しなければなりません。
したがってもしあなたが彼らの近くにいたら、あなたはできるだけ早期に彼らから離れることが必要です。
近くにいれば妄想に取り込まれるかもしれないし、それはあなたにとっても彼らにとっても病状を悪化させることになり、双方にとって不利益と考えられます。
彼らに解離症状(ふだんの自分と違う心理・意識状態に無意識に移行してしまう症状。
健忘、放浪に出てしまう遁走、もうろう状態、じっとして動かず、話しかけても反応がない昏迷、多重人格、離人症など)が出現しているときも、妄想のときと同じく彼らからできるだけ早期に離れることが肝要です。
なぜなら解離状態にあって別人格が出現しているときは、それは現実の彼ら自身ではなく、歪んだ精神状態の人格であり、そんなときに近くにあなたがいたのでは、別人格の彼らが強調されてしまって、本物の彼らが弱体化して、解離症状が固定化してしまうかもしれないからです。
それは彼らの病状を悪化させることになるし、あなたは彼らの病理によって巻き込まれてしまう可能性が大きくなるのです。
妄想にしても解離症状にしても、精神病理学的にはかなり重篤な症状であるので、できれば精神科医を受診させることが望ましいでしょう。
カテゴリー:境界性人格障害
境界性人格障害の人の対応
境界性人格障害の人たちに、周囲の人たちはどのように対応すればよいのかを次にお話しさせていただきます。
1:第一印象としてのけなげさ
境界性人格障害的な心性を持った人の第一印象は停げで、ひっそりしていて、どちらかといえば目立たない感じを受けます。
そしてこの印象はなにも第二印象だけでなく、周囲の人のある程度固定した評価でもあることが多いのです。
しかもその上に、仕事ができて、まわりに気を使うことができるなど、有能であるという評価を受けていることさえあります。
これは不思議なことですが、彼らの特性を考えれば当然のことです。
つまり境界性人格障害の人はふたりのあいだの関係においてのみ、彼らの病理が露口壬されます。
逆をいえばそれ以外の場では「境界性」が発揮されないということになるのです。
もちろん不安定の中の安定が得られていない状況では、彼らは自己破壊的な衝動を抑えきれず、リストカットや無断欠勤などの問題行動を起こすでしょう。
しかし、誰かとのあいだに共生関係が構築されているときには、束の間の安定を得ています。
そしてそのときには、それ以外の対人関係は比較的安定を得ています。というよりもむしろ安定以上の能力を発揮していることのほうが多いのです。
相手を振り回しているということ自体が彼らのパワーのポテンシャルの高さを示しています。
つまりマイナスの方向と同じのプラスのパワーが発揮される可能性をいつも秘めているのです。
したがって一方の共生関係が激しいときほど、それ以外の社会的な場面においては能力が十分に発揮されて、有能な人間という評価さえ受けるのです。
しかし不安定の中の安定はあくまでも束の間の安定であって、長続きしません。
共生関係が揺らいで不安定であっても、彼らには必ずさらなる不安定さを求めてしまう気運が働きます。
どんなに不安定であったとしても、時間とともにそこにはなにかしらの惰性が生じます。
それは普通の人にとっては心地よいものに変化していく過程であっても、境界性人格障害の人にとっては退屈な、虚しさの源泉になってしまいます。
彼らには「倦む」ことに耐える能力がありません。
そのために、いつも別の共生関係を築くための対象を探しています。
それは彼らが意識しているわけではないけれども、常にアンテナは張っているのです。
私たちは初めて接する人に対して、なにかいつもと違う自分を出そうとしていると感じるときには危険だと思わなければいけません。
それは相対する人間が境界性人格障害の人であっても、その傾向がある人でも同じです。
いつにもなくビューマニスティックになって、自己犠牲の精神を発揮しようとしている自分がいれば要注意です。
いつもと違う自分になって、なにかしてあげようかと感じるときほど危険です。
相手が魅力的で、あなたが自分を犠牲にしてまで助けてあげようと思っているとしたら、それはもしかしたら相手の魔力に陥っているかもしれないのです。
したがって私たちは相対する人と初対面であるにもかかわらず、あまりにいつもの自分と違っているなと少しでも感じたなら、とりあえず重要な決定は留保する必要があります。
これはなにも境界性人格障害の人やその傾向がある人だけでなく、それ以外の一般的な人間関係にもいえることだと私は思います。
2:感覚的表現の多用
彼らの話し方には感覚的表現が多く、「なんとなく」といった話し方をします。また、「どちらにも受け取れる」「どちらにも解釈できる」話し方をします。
私たちも彼らの話し方に心地よくなってしまって、「まあいいや」と思いがちです。あるいはどうでもいいやと思って「安請け合い」をしがちです。
けれどこれは後々非常に高くつきます。
なぜなら、彼らの言い分が明確化しないうちに私たちが「わかったり」「引き受けたり」すると、その後、彼らは「あなたがいいといったから、このような結果になってしまった」と必ず責任転嫁してくるからです。
すると、私たちは、実際には彼らに対してなにも悪いことはしていないのに、負い目を感じさせられ、結局は、彼らのためになにかをしなければいけなくなってしまうのです。
よく見られるのは、次のようなものです。
たとえば、ある人から「私は夢を追いかけているんです。でも自分がなにに向いているのかよくわからない。なんか突き抜けることがやりたい。自分にピタツとするのはなんでしょう。
ボワーンとした感じで、みんなを幸せにできればいいと思うんです。私はこのままでいいのかしら?」と尋ねられたとします。
そのときに「それでいいんじゃないの。夢を追いかけるのはいいことだね。力になれることがあったらいってね」と答えたとします。
しかし、この答え方は境界性人格障害的な側面を持った人に対しては適切ではありません。
彼らは夢を追いかけている自分が好きなので、地道な努力はむずかしいのです。
したがって彼らが自分のイメージどおりにできなかったときには、必ず「あなたが夢を追いかけるのがいいっていったから、私は結局夢を追いかけるばかりでなにもできないままでいる。あなたのせいだ。早く私の夢を実現させてほしい。あなたにはその責任がある」と迫ってきます。
こうならないためには「夢を追いかけるために、いまはなにをすべきか考えましょう。あなたはなにがやりたいですか?」と確実に彼らに答えを求めるようにしなければいけないのです。
文章にしてみると彼らの責任転嫁はそれほど激烈ではないように思えるかもしれませんが、実際の場面では、泣きわめいたり、反対にどうしてそこまでと思うほど激怒したり、リストカットしたり、飛び降りてやると脅したりするのです。
まさに体を張った責任転嫁であり、私たちが境界性人格障害の知識なしに彼らに臨めば、彼らの術中に簡単にはまってしまうのです。
だから私たちは感覚的表現を多用する人に対しては、安請け合いをせず、あいまいな答え方をするべきではないのです。
彼らがいっていることは必ず明確化しなければなりません。
3:主観的評価の極端さ
境界性人格障害の人は感覚的であると同時に主観的に生きていて、その主観は自らの価値基準、それも「好き・嫌い」といういわば快感原則に基づいて生きています。
快感原則は彼らの生活のすべてに行き渡っていて、社会常識的な一般原則は入り込む余地は存在しません。
一般原則を彼らが理解できないのではありません。
境界性人格障害の人にとっては快感原則があまりにも強烈なために、一般原則は意識の外に放り出されるだけなのです。
この快感原則の強太さは彼らに社会生活を送るうえでの大きなデメリットをもたらします。
彼らは「がまん」「忍耐」「辛抱」というものを持つことが困難になるからです。
私たちは社会生活を送るうえでさまざまな制約を受け、いろんなものをがまんしたり、辛抱したり、あきらめたりして生活しています。
これをできないようでは周囲と軋轢を生むのは明らかで、社会から弾き出されるのも当然のことなのです。
4:話の断片性
話し方が断片的でわかりづらいときには、私たちはどのように対応しなければならないのでしょうか。
境界性人格障害の人の話は、ともすれば滑らかな語り口によって、なんとなくわかったような気になってしまいます。これは後々高くつくことになります。
彼らは結論をどうにでも取れるように話すことが多いからです。
このような特徴を持った人に対しては必ずこちらがイニシアティブを取るように心がけ、さらに彼らの意思を常に明確化させ続ける努力を怠ってはならないのです。
本筋を示して、話に惑わされずに彼らがいいたいことを明確化させましょう。
もしいいたいことがなくて、私たちに責任を被せようと下駄を預けてくるようなら、そのこと自体をはっきりさせましょう。
5:陳述の物語性
彼らがあまりにもドラマティックな自分の人生を語る場合には、聞く人は自らに注意サインを発する必要があります。
彼らの物語に引き込まれてしまえば、聞く人はもはや物語の一登場人物となってしまいます。
このようにならないためには、彼らがこのドラマを通じて、なにを私たちに話したいのかをはっきりさせる必要があります。
彼らがウソを語るつもりはなくても、自らが物語の主人公となっているために、意識せずにドラマティックな語り口になっているのです。
このように境界性人格障害の人やその傾向を持つ人は、話に物語性を帯びることが多く、それはかなり主観的に脚色されていることがほとんどです。
出会って間もないころにあまりにも劇的な人生を語る人には注意したほうがよいでしょう。
彼らが意図的でないにせよ、ドラマティックな人生などそうそうないし、初対面の人にそんなことを語るのは、境界性人格障害的な人だけです。
ほんとうに苦労した人生を生きてきた人は簡単に自分の来歴を語らないし、ひけらかしたりしないものです。
自分に注意を向けようとする人だけが、最初からドラマティックに自分の過去を語るのです。
6:イメージ記憶の過剰さ
境界性人格障害の人のようになにかの拍子にいやなネガティブな感情がわき出てくる人たちと付き合うのは大変です。
彼らはあまり知らない人に対してよりも、親しい間柄の人にいやな感情が突然、出現します。
これではなかなか関係性が長続きしないのも当然です。
彼らと付き合うときに、ふとした拍子に彼らが突然、感情を害して怒っているのを目のあたりにしても驚いてはいけません。
彼らは突然、過去のいやなイメージにとらわれたのであって、いま現在の状況や関係性によって、感情を害したのではないことを知るべきです。
さらにどういうわけか彼らがなにも理由がないのに私たちに怒りの感情を向けてきたときには、彼らが精神分析でいう「投影性同一視」(自分のいやな感情を認めることなく、相手にいやな気分を映して、相手が怒っているように感じる)という原始的防衛機能を用いていると理解すればよいのです。
彼らがフラッシュバックや投影性同一視のような現象を示しているときには、それに巻き込まれることなく、ひと呼吸置くことが大切です。
むというわけではないけれども少なくとも悪い事態に陥ることはありません。
7:文学的・比喩的語法の多用
彼らが文学的・比喩的表現を多用することはある意味、彼らの能力だと思います。
というのも、彼らの心の状態はいつも変動していて単純には表せないため、混沌とした心の中を表現するにはこの方法が適していると考えられるからです。
たしかに文学的・比喩的表現のほうがふつうに自分の状態を話すよりも相手に理解されやすく、私たちにも彼ら自身にもしっくりすることはあります。
けれども私たちは、彼らの話の語感やリズムの心地よさに浸らないことが肝心です。
私たちは常に相手がなにをいいたいのかを把握し、本筋から逸れないように注意を払わなければなりません。文学的・比喩的表現は女性によくみられます。
これは彼女たちのイメージ記憶の過刺さが容易に文学的なものと結び付くことによっているのではないかと私は考えています。
境界性人格障害の人の話はわかりづらいのですが、ある独特のリズムがあって、つい引き込まれてしまう響きのよさが存在しているのです。
8:身体記憶の未発達さ
これは彼らが私たちを振り回すというたぐいのものではなく、彼ら自身が生活の中で不便を感じるというものです。
したがって私たちができる対策というものではありません。
彼らはたとえば子どものころからプラモデルをつくったり、雑誌の付録を手順どおりにつくれなかったりするような経験があることが多いし、大人になってからも説明書を読んでオーディオ機器の接続ができなかったり、パソコンをなかなか使いこなせなかったりします。
このことは境界性人格障害の人が飽きっぽかったり、忍耐強く物事に取り組むことが苦手だったりすることにも原因があるのかもしれません。
「がまん」「辛抱」「忍耐」が苦手な境界性人格障害の人の特徴でもあります。
また、人がいつの間にか身に付けていくような手順、たとえば目覚ましをセットしたりとか、もっと単純なところでは寝る前に家の中のすべての電気を消して寝るとかいったこともなかなか身につかないのです。
これらは大脳の器質的な問題かもしれません。
けれども境界性人格障害の人のすべてが身体記憶が未発達なわけではないので、共通するような器質要因を想定することはできないのが現状です。
それでも境界性人格障害の人の多くが、細かい手順を体に覚え込ませるのは得意ではなく、じっくりと物事に取り組むことも苦手な人が多いのは確かです。
さらに境界性人格障害の人はリラックスした状態が体になじまない、落ち着かないということもあります。
具体的には私たちは仕事でストレスがたまっていたりするときに、のんびりとリラックスして過ごそうということで温泉に出かけたりします。
そのときにふつう私たちほお湯につかってゆったりと時間を過ごしたりしてリラックスするのですが、境界性人格障害の人はうまくリラックスすることができません。
温泉にはつかるのですが、ゆったりとは入浴できずに、それ以外になにをしていいのかわからずに落ち着きがなくなって、帰るころにはかえって疲れてしまうというような本末転倒のようなことがしばしば起こるのです。
このようにリラックスすることが目的となってしまって、かえって疲れるという現象は境界性人格障害の人が自分の身体を心地よくさせることが葦なことに由来しているのです。
これは境界性人格障害の人の身体記憶が私たちに比べて未発達であるということに基づいていると考えられるのです。
カテゴリー:境界性人格障害

