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子供との心のコミュニケーションをとる5つの方法
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十代の子供たちの凶悪事件について思うこと
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スクールカウンセラーの利用
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子供の心の病気の専門機関
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生徒にしてはいけないこと
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広汎性発達障害(自閉症・アスベルガー症候群)
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ボーッとしている
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うつ病を再発しない為に
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原因不明の体調不良(身体症状)
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子供のストレスを見逃すな!
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教師の対応
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不登校は社会的ひきこもり?
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妄想を言う
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家族の対応
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子供の気になるクセ
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子供の不登校と親の対応
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心療内科、精神科への受診
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仕事や対人関係でトラブルを抱えている人への対応
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テレビやゲームは心の発達を妨げる?
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ひきこもりへの、親・家族の対応
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何か特定のものに執着する
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「子供のうつ」は見逃されやすい
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子供が不登校になった場合
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落ち着きがない
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人格障害
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子供のうつを招く要因
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子供の不眠・過眠
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うつの回復過程でのポイント
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AD/HD(注意欠陥/多動性障害)
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子供の拒食・過食
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ひきこもり・ニートの対応
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「子供のうつ」治療に、精神療法が適している
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恥ずかしがり屋と社会的不安障害
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学校に行けない(不登校)
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自分を傷つけないと約束してもらう
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すぐにキレる、トラブルが絶えない
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病気と障害
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人見知りが激しい、過度の心配性
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病気であり、怠けているわけではないことを伝える
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子供の言葉の発達の遅れ
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家庭訪問はどうすべきか
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うつと間違いやすい子どもの状態
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不登校の初期症状と統合失調症は似ている
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行為障害
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「チック」という症状
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子供のうつは分かりにくい
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自傷(リストカット等)
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登校しなくなった生徒になにをすべきか
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心の病気にかかりやすい年齢
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「子どものうつ」の前触れ、症状
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思春期の心のトラブル
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「子供のうつ」のサインを見逃さない!
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子供との心のコミュニケーションをとる5つの方法
「コミュニケーションがうまくとれない」と悩み、傷ついている人たちが相変わらず多いことに驚かされます。
最近、とくに目立つのが、親子や夫婦などもっとも身近な人とのコミュニケーションがうまくとれないと悩むケースです。
そして、コミュニケーションをとるための努力を最初から放棄しておきながら
「わかってもらえるはず」
と期待し、失望するというケースです。
それは、おそらくメールやネットの掲示板でのコミュニケーションによつて受けた心の傷から立ち直れないというケースでしょう。
これらは一見するとまったく別の問題のようですが、実は、根底に横たわる問題は同じと考えられます。
すなわち、
「努力して話したり聞いたりしなくてもわかりあえるはず」
とコミュニケーションに対する楽観視が、トラブルや失意を引き起こし詔いると考えられるのです。
さらに、その背景には、
「他者も自分と同じことを考えているはず」
という前提があります。
そして、他者の考えや気持ちについて想像することをやめてしまう一種の思考停止状態が存在していると考えられます。
さらに、この思考停止はときとして他者にだけではなく、自分に対してまで発動される場合があるのです。
すなわち、自分の意思や感情について考えることさえやめ、心を丸ごと超越的な何かにあけわたしてしまうのです。
「何も考えずにあなたの守護霊の導きにまかせればいい」
といった霊感占いや占星術のブームも、この「自己のあけわたし」の表れだと考えられます。
自分の考えを確認することさえやめてしまった人が、他者と円滑なコミュニケーションを取ることなどできるはずがありません。
ましてや、自分でもわからない自分の心の中を、相手に推測し、受け入れてもらおうと期待しても、空しい結果に終わることは、最初から明らかです。
ではどうすれば「自己のあけわたし」を予防し、自分の言いたいことをしっかりと自覚したうえで、それを的確に相手に伝えることができるのでしょうか。
そのために必要なのは、「他人は自分とは違う存在」というきわめてシンプルな事実を再確認し、十分に配慮することです。
そのうえで、「この人とコミュニケーションをとりたい」という素朴でかつ強い要求をもつことです。
そして、多少の行き違いはあってもあたりまえと考え、ひとつひとつに深く傷つかないこと、この三点に尽きると考えられます。
今日からできる五つのこと
(1)「まず否定」のクセをやめよう
年代も違い、さらには性別も違う娘の考えていることなど、さっぱりわからない、これが親とりわけ父親たちの本音ではないでしょうか。
最初からそう決めてかかると、自然とそれが態度や表情にも現れるものです。
そして、娘のやることなすこと、さらには服装やその交友関係までを、まずは疑ったり否定的にとらえたりするクセが身についてしまうのです。
たとえば、娘が自分より遅く、夜12時近くに帰宅したとしましょう。
そこで娘を尊重している親なら、まずは「おかえり」とその帰宅を歓迎するはずです。
「遅かったね」「何してたの?心配したよ」
と尋ねたりとがめたりするのは、それからのことです。
ところが、「娘は理解しがたい存在」と日ごろから思っている父親は、
「おかえり」
のことばも笑顔もないまま、いきなり、
「何時だと思っているんだ」
と否定的なセリフを口にしてしまうものです。
あるいは、無言で娘に冷ややかな視線を送るかもしれません。
あなたにも心当たりはありませんか。
これでは、たとえその遅い帰宅の理由が残業であったり、友だちの悩みの相談に乗っていたからであったりしても、娘は説明する気さえ失ってしまうでしょう。
もしかすると、「ストーカーにつけられて怖い思いをしながら逃げていた」という場合もあるかもしれません。
そんなとき、娘と大切な話をするチャンスを奪うことで、取り返しのつかない結果になる場合もあるのです。
では、どうすればいいのでしょうか。
まずは、娘を信じ、ひとりの人間として尊重することです。
娘だって、何か考えや事情があって毎日、行動しているのです。
親をあざむいてやろう、親の目を逃れて悪いことをしてやろう、と思いながら暮ら転ている娘は、実はいないのです。
仮にいてもきわめて少数です。
「娘がやることはすべてあやしい」「とにかくロクなことは考えていない」 と思い込む被害妄想的なその発想を、今日からやめにしましょう。
(2)しつこくせずに、「いつでも聞くよ」とオープンな雰囲気を
娘という存在を認め、尊重したからには、じっくり話したい、その心を聞きたい、と思うのも当然の感情です。
ところが、どう話しかけてよいのかわからない、という父親も多いと思います。
あるいは、勇気を出して話しかけたら無視された、「放っておいてよ」と冷たく拒絶された、という経験をもつ人もいるかもしれません。
世代が違えば、コミュニケーションをとるのがむずかしいのはあたりまえです。
「職場では若い人ともスムーズに話せるのに」
と思う人もいるでしょう。
しかし、職場は「会社の利益をあげる」といった同じ目的をもった人たちの集まりだからこそ、世代や性別が違ってもある程度、話ができるのです。
また、上司や同僚などほとんどが共通の知り合いだから、話題にも事欠かないのです。
ですから、「職場の仲間より家族のほうがコミュニケーションをとるのは簡単」というのは、ある意味で大きな幻想なのです。
それゆえに、世代も性別も違う娘とは、いくらお互い尊重し合っていても、簡単にはコミュニケーションがとれないもの、と思うくらいがちょうどいいのです。
では、そのうえでどうやって意思の疎通をはかればよいのでしょうか。
大切な原則は、「なんだ、どうしたんだ」
としつこく聞きすぎないことです。
とくに、心がデリケートになる思春期には、おとなに、「どうしたの?」と問いかけられただけで、子どもは自分の胸の奥にまで踏み込まれたような嫌な感覚を味わうのです。
内心で、心配されてうれしい、という気持ちをもちながらも、「うるさいわね!」 と口答えしてしまうことも少なくないのです。
そういう場合は、食事どきや食後のリラックスタイムに、さりげなく
「最近どうだ? 何かあればいつでも聞くよ」
ということだけをさらりと伝えるのが、効果的です。
心の中で…いま話さなくてもいい、でも話したくなったときには話してほしい。
こちらにはいつでも聞く用意ができている‥。
そのことだけを思い、できれば伝えておけば、いつか娘から、
「ねえ、お父さん」
と話してかけてくれる日もあるはずです。
ですからその場では、「ほら、早く話せよ」 とせかさない寛太さが求められるのです。
(3)妙に迎合しないほうがいい
娘の関心を引くために、若者向けの音楽やドラマの知識を仕入れて、
「いまラップが人気らしいな」
などと話しかける父親もいます。
「オレだって知っているんだぞ」
という気持ちでしょう。
しかし、これは逆効果になりかねません。
娘や子どもたちに生半可な情報をわかったようにひけらかすものと受けとられてしまう場合が多いのです。
そんなおとなを若者はいちばん嫌うもの、ということを忘れないほうがいいと思います。
共通の話題を見つけたければ、素直に、
「最近はどんな音楽が流行っているの?」
と尋ね、
「お父さんは全然わからないんで、よかったら教えてよ」
と教えを乞うほうがまだいいでしよう。
その後で、
「最近はそういう音楽が主流なのか。
お父さんの時代にはハードロック一色だったよ。
トリノオリンピックの開会式で歌っていたピーター・ガブリエルなんて、お父さんが20代のときのヒーローだったんだ」
と自分自身の経験や体験を語れば、
「えーホント? レコード持ってるの? 聴いてみたいな」
しかし、ここで大切な問題があります。
日ごろ妻ともろくに口をきかない父親が、いきなり娘に、「なんでも聞くよ」と言ってみたところで、信用されるわけはない、ということです。
「何かあったら話してみろよ」とことばで伝える以上に大切なのは、次に述べるように、
ふだんから妻と十分にコミュニケーションを取っている姿を、家庭内で娘に見せておくことなのです。
そうすると娘は自然に、
「お母さんの話もあんなによく聞いてくれるんだから、私の話も聞いてくれるだろう」
と思うようになるはずです。
そういう父娘関係でいちばん鍵になるのは、逆説的に聞こえるかもしれないのですが、
「娘とどう向き合うか」ではなくて、「妻とどう向き合うか」なのです。
(4)娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを
「娘と妻が双生児のように仲がよく、間に入る余地がない」
という父親の話をよく問きます。
一見、仲よし母娘のようですが、実はこういう母親は、夫が自分のほうを振り向いてくれないからこそ、娘を同志にしている場合が多いのです。
娘ならまだいいとしても、驚いたことに、それでも満たされない妻たちは、家庭外の男性たちに救いを求める場合もあるのです。
「ウソだろう。ウチの妻にはそんな度胸はないよ」
とう人は、話題の書『セックス・レスキュー』(新潮社)を読んでみて下さい。
この本で紹介されている人類学者「キム・ミョンガン」氏は、性の相談所「せい」を開いています。
そこにはセックスレスで悩む妻たちが、毎日、大勢訪れます。
そういう女性にキム氏が自信回復のための「リハビリ・メイクラブ」を勧めます。
そして、相手がいないと言う人には「奉仕隊」と呼ばれる男性を紹介するのです。
そう知らされると夫たちは、「それは不貞だろう!」と色めきたつかもしれません。
あるいは、「その奉仕隊に入れば人妻とつき合い放題なの?」と下世話な興味をもつ人がいてもおかしくありません。
にわかには、その存在も信じられない「奉仕隊」ですが、実は定期的に公募され、選ばれているのです。
「とにかく女とヤレる」といった男性ではダメで、性的技量よりも、夫とのセックスレスなどで自信を失い助けを求めている女性を救いたい、という使命感や包容力が求められるようです。
あくまで「リハビリ」のためのセックスなので、そこから恋愛に発展するのはタブーです。
こういった条件の下、毎回、競争率は、5倍程度になり、常に30~40人の男性が「奉仕隊」として活動しているのだといいます。
ジャーナリストとして日米両国で活躍する著者は、まず日本のセックスレスの実態とそれが女性たちに与える影響の深刻さに驚きながら、
キム氏のもとにカウンセリングに訪れる女性たちの心の叫びをリアルに伝えます。
そして、驚くべき「奉仕隊」の存在を紹介しながら、その助けを借りて立ち直った女性ばかりではなく、
一方で「奉仕隊」と出会ってかえって心の揺れが大きくなった女性やついに「奉仕隊」を受けられなかった女性がいることも措いています。
それにしても気になるのは、妻たちの置かれているこの状況を肝心の夫たちはどれほど知っているのか、ということです。
「奉仕隊」を利用した妻のひとりがひさびさに心身ともに男性に受け入れて1第6章l私が「少女」だったころもらうという経験をしたあとで、著者に対して以下のようにつぶやく箇所が印象的です。
そのつぶやきとは、
「私、気づいたんです。本当に抱きしめられたいのは、夫になんだって」
妻たちが求めているのは決して身体の満足などではなくて、
「ひとりの女性、人間として夫に認めてもらいたい、向き合ってもらいたい」
そして
「悩みや迷いがある自分を抱きとめてもらいたい」
ということなのです。
もっと簡単に言えば、「私をちゃんと見て」ということでしょうか。
逆に考えれば、妻たちの多くは、日ごろ、いちばん身近にいるはずの夫に自分をしっかり見てもらっていない、と感じて、孤独感や不安感を募らせでいるのです。
そういう妻たちが、夫に蔑りをつけて自分の娘や息子、韓流スター、さらにはホストや「奉仕隊」などに癒しを求めたとしても、夫には文句を言う権利はないでしょう。
しかし、母親の「心の逃げ場」にされる子どもたち、とくに双生児的な関係を求められる娘にとっては、これは必ずしも好ましいことではありません。
ある20代の女性は、以下のような話をしてくれました。
子どものころから「母娘べったり」の関係を続け、これまでは自分でもそれを心地よいと思っていたのだが、
最近になって、「なるべく近くの人と結婚してね」などと結婚にも口をはさむようになってきた。
ふと気づくと、これまでも学校の選択から友だちの好き嫌いまで、すべてに母親は口をはさみ、ときには「こうしたら?」と指図することもあった。
自分は母親の人形として、言うなりに生きてきただけだったのだ…
娘とこれほどまでに密着した関係になる母親の多くは、夫とはほとんど会話すら交わさずに日々を暮らしているものです。
別の密着型母娘の母親に夫との関係について尋ねると、吐き捨てるようにこう言いました。
「夫?ああ、いまでは家具のようにしか見えません。
まじめな人でお給料はちゃんと入れてくれるから離婚しようとは思いませんが、いったい何を考えてるのか‥。
もちろん向こうも、私が最近、どんなことを考えているのかなんて、いっさい知らないし興味もないと思いますよ。
でもその分、娘とは何でも話し合えるからいいんですけれどね。
娘もお父さんきらい、って言ってますし」
この母親が、「給料を運ぶだけで自分に関やをもってくれない夫」との生活のなかで不満を抱き、それが娘への過剰な依存を生んでいることは明らかです。
しかし、「家具としか思えない」という段階に至っては、夫との関係の修復はなかなかむずかしいでしょう。
夫に対して、
「奥さんをもっと見てあげてください、コミュニケーションをとってあげてください」
と言うと、
「いったい何を話せばいいのか」 と困ったような顔をする人がいます。
「正直言って、子どもは大切だけれど、妻には愛情を感じません」
とはっきり口にする人(夫)もいます。
しかし、あなたが妻を放っておくことで、妻と娘の関係がどんどん濃密なものとなり、
結果的に大切な娘の人生までむしばんでしまうこともあるのです。
(5)妻や娘は夫の言葉を待っている
話題がないなら、娘に対してと同様、「何でも聞くよ」という姿勢を見せるだけでもいいのです。
おそらく、どの妻も
「もっと話したい、もっと開いてほしい」
と思っているのです。
いちばんそばにいる夫に、「何かキミのことを開かせて」と言われて、うれしくない女性はいないはずです。
妻と少しでも深いコミュニケーションがとれるようになれば、発見もたくさんあるでしょう。
これまで、「食べることとおしゃれにしか興味がない」と思っていた妻が、実は、
「ボランティアに興味をもち勉強をはじめていたこと」
「社会の動きに対していろいろとユニークな意見をもっていること」
そして、いまでもときには少女のように傷ついたり揺れ動いたりしている、ということなどを発見することができます。
夫が、
「そうか、食べてテレビでも見ていれば満足、と思っていたのは間違いだった」
と気づくころには、見慣れたはずの妻がいきいきとした魅力的で個性的な女性に見えてくるのではないでしょうか。
妻たちは、夫を毛嫌いして、娘や俳優、あるいは不倫相手に依存しているのではないのです。
いちばん向き合いたい相手、コミュニケーションをとりたい相手は、あくまで夫なのです。
同じ家に住んでいるのにわかってもらえない…。
そんな絶望的な孤独に妻たちを追い込んでいるのは、ほかでもない夫である男性たちなのだ、ということをわかってほしいのです。
妻は、夫(あなた)が自分を見てくれるのを待っています。
そして、娘も自分の父親と母親がしっかりコミュニケーションを取り合い、理解し合ってほしい、と願っているのです。
両親がお互いを個人として尊重し、慈しみ合っている姿を見れば、娘はその雰囲気のなかで安心し、自然と父親にも心を開くことは間違いありません。
妻や娘たちがほしいのはお金でも洋服でもなく、父親であるあなたのほんの少しの勇気と理解なのです。
カテゴリー:子供の心の病気
十代の子供たちの凶悪事件について思うこと
昨今は毎月のように十代の子どもたちが、重大な事件を引き起こして、わたくしたちの心を痛めます。
2005年静岡県伊豆の国市で、県立高校1年の女子生徒が母親を劇物のタリウムで殺害しようとしたとされる事件が発覚して世間が騒然となりました。
その直後、今度は、東京都町田市で都立高校1年の女子生徒が同級生の少年に刺し殺されるという事件が起きました。
一方では、高校1年の女子が「加害者」に、他方では「被害者」になった形です。
また、いずれの「加害者」も16歳でした。
17歳、14歳、12歳…と同じ年齢同士の少年少女が偶然にも相次いで事件を起こす傾向がここ数年目立っています。
これからしばらくは「16歳」に注目が集まるのでしょうか。
タリウム事件の「加害者」になった静岡の女子生徒は、典型的な「理系少女」でした。
同級生が男の子やファッションの話題で盛り上がるなかで、彼女は、ひとり化学実験や動物標本づくりに熱中していたといいます。
インターネットで公開していた日記形式のブログでは、自らを「僕」と称し、地方都市で送る高校生活や日常生活への違和感を表明していました。
しかし、これだけで「この少女は異常」と決めつけることはできません。
おそらく少女はすべてが定式化、法則化された科学の世界を純粋で美しいものと感じ、異性とおしゃれのことしか頭にないような同級生たちやお金や人間関係のことで頭がいっぱいの母親世代の女性たちの「女性性」と「世俗性」に対して激しい嫌悪感を抱いていたはずです。
第二次性徴を迎える年ごろの少女は、自分もその「醜い女性」に一歩一歩近づいていることに並々ならぬ恐怖を感じていたのではないでしょうか。
そういう少女が、自分を「僕」と言ったり、女性らしい服装を拒んだりすることはめずらしくないでしょう。
「ぶよぶよした醜い身体になりたくない」
とくに身体的な女性性を拒否する拒食症の患者には、理系の課目や爬虫類や鉱物など、
なるべく非人間的な対象やかりそめの趣味を偏愛する人も少なくありません。
しかも、少女が住んでいたのは、地方のあまり大きくない都市です。
大都会なら彼女の晴好を満足させてくれる書店や美術館もあったであろうし、「理系好き」という個性を尊敬してくれる同級生もいたかもしれません。
たとえ、いずれも手に入らなかったとしても、せめて「あの子って変わり者」といった好奇の視線を逃れて、匿名のだれかとして図書館や映画館にこもることもできたかもしれません。
ところが、現実の少女はどこにも逃れることができませんでした。
体育祭の応援に行ったり、プール学習に参加しなければならなかったのです。
それは彼女にとって相当にしんどいことではなかったかと思われます。
母親に対する少女の感情を探る
少女にとって「世俗性」「女性性」の象徴が、自分の母親だったに違いありません。
少女の母親は、報道されているところによると「ごくふつうの人」でした。
近くの大型スーパーの衣料品売り場に勤め、持ち前の社交的な性格で販売員としての手腕を発揮していたといいます。
いわゆる「地に足のついた等身大の生活」を送る母親に対して、少女はどんな感情を抱いていたのでしょうか。
これは、私の想像でしかないのですが、
少女の心の中には、自分にはない社交性や現実感覚を持ち合わせ、日常生活をうまく送ることができる母親への羨望があったと考えられます。
一方で、その世俗性への軽蔑や憎悪があり、そして同時に自分もその母親の娘なのだからいつかは同様の道を歩むのではないか、という恐怖が混在していたのではないでしょうか。
もし、そうであるなら、少女にとって「母親殺し」とは、自分にも内在しているかもしれない「世俗性」「女性性」を根絶やしにするという意味をもっていたはずだ、と考えられます。
なぜこのような推測が可能なのでしょうか。
世間で話題の拒食症に代表されるように、同じような悩みや葛藤、そこから派生する症状を抱えて精神クリニックなどに訪れる若い女性が少なくないからです。
娘にとって、母親はいちばん身近な女性であるとともに、同時に「すでに結婚、出産を経験している」という決定的な事実によって、ほとんど絶対といっていいほど乗り越えられない存在です。
たとえば、思春期になって娘が「お父さんなんて汚くてきらい!」と言うようになり、母親が、「本当よね、イヤね」と友だちのように同調してくれたとしても、
その途中で娘は、「でもお母さんはそのお父さんとセックスして、私が生まれたんだ」という否定しょうもない事実に気づかされます。
従来の図式であれば、そこで娘も
「私もいつかお母さんにとってのお父さんみたいな男性と巡り合いたいな」
と自らの女性性と自立に目覚めることになるはずですが、いまは違います。
「お母さんは私を裏切ったんだ」
「私は絶対にお母さんのようにはなりたくない」
といつまでも母親をめぐる執着がつづき、なかなか「私もいつか…」と自分の将来への展望につながりにくいのです。
「母の女性性」の否定がなぜ他に向かうのか
とはいえ、静岡の少女はまだ16歳なのですから、「ふつうの女性」として現実的な生活を送る母親の存在を認め、自分のなかにもある母と同じ要素を受け入れるというのは、彼女が若すぎるために無理な話でしょう。
しかし、そこでもなお残る疑問は、「母親的な世俗性、女性性を根絶やしにしたい」という気持ちが、なぜ自分ではなくて母親という他者に向かったか、ということです。
精神科クリニックにも、同様の葛藤を抱えた患者さんが多数訪れます。
ただし、彼女たちの場合は、その葛藤は、自分への攻撃や「症状」として出現するケースが多いのです。
拒食症者にしても、「母親の作った食事なんて食べたくない」といった程度の反発を示す人はいますが、いずれにしても「健康を害するほど体重を落とすこと」の被害は、他者ではなくて自分に対して及ぼされるものです。
また、なかには、
「このまま母親のようになっていくくらいなら、ここで人生を終わりにしたはうがいい」
と自殺未遂をする人、あるいは、
「こんな自分をこのままいさせるわけにはいかない」
と自らを罰するかのように自傷行為を繰り返す人もいます。
この人たちにしても、そこに至るまでのプロセスには、静岡の少女とおそらくはあまり違いはないのではないかと思われます。
世俗や打算を軽蔑し、独特のスタイルに純粋さや美を感じ、そんな自分がまわりから浮いていることに、孤独感と劣等感、そして優越感を抱く…。
乱暴な言い方をすれば、これらは理系少女、拒食症やリストカット、さらには「ゴスロリ」などにも共通する心理なのかもしれません。
「ゴスロリ」
「ゴシック・ロリータ」の略。
12世紀半ばフランスで生まれたゴシック建築と、ロシアl第1章l事件を起こした少女の心のうちの作家「ウラジミール・ナボコフ」が書いた「ロリータ」(≦adim肯2註OkOく「LO詳a二を合成した言葉。
作者が念頭においた少女の年齢は、おおよそ10歳(最長14歳)。
この言葉は、アメリカでは、「ガール・チャイルド」と呼ばれるファッションのようだ。
彼女は「自分を消したい」と考えていたはずなのに…
彼女たちは、いずれも多かれ少なかれ、周囲との違和感に苦しみ、「どこかに行きたい」「自分を変えたい、消したい」と思っています。
それなのに、なぜ静岡の少女だけが、自分ではなく母親を消してしまおうと思ったのでしょうか。
ある段階まで、こうした少女の心は、これまでの青年期心理学や臨床での経験から解釈可能です。
その年ごろでは、それほどめずらしいケースともいえないのです。
しかし、その「落としどこる」(ゆきつくところ)がどうしても説明できないのです。
実は、こういう事件は、今回がはじめてではありません。
たとえば、2003年11月1日未明、大阪の河内長野市で18歳の大学1年生の男性が家族を次々に包丁で刺しました。
母親は、死亡、父親と弟も重症を負うという家族殺傷事件が起きました。
この事件は、その後の調べで、大学生は交際中の16歳高校1年生の少女とともにそれぞれの家族の殺害を計画したとのことです。
さらに率先して計画を練ったのは少女の側であったことが明らかになりました。
ふたりは、ふだんから「ゴスロリ」ファッションで身を固めてデートしている姿が目撃されていました。
そのためこの事件は「ゴスロリ殺人事件」などとも呼ばれました。
ふたりがなぜ家族を殺そうとしたのか、それは、それぞれの供述に微妙な違いもあるといわれていますが、
報道されているところによると、少年は
「家族を殺して少女と一緒に暮らした後、一緒に死のうと思った」
と言いました。
一方の少女は、
「ふたりきりの場がほしかった。
互いの両親を殺してそのうちふたりで死ぬつもりだった」
と述べたといいます。
妙なことに、ふたりの交際は周囲から反対されていたわけではなかったようです。
またなぜ心中しなければならないのかもさだかではありません。
ただし、この少女もまたホームページを開設しており、そこにリストカットの写真や死へのあこがれをつづった文章が掲載されていました。
ここに見えるものは、やや風変わりな趣味をもった男女が恋愛関係で、強烈な「ふたりだけの世界」ができあがっていたのです。
これは、「俗人には理解してもらえない」「まわりの人間はバカで汚い」と孤立感を強めていたのです。
その果てに、
「ふたりだけで暮らしたい」と思い、さらには、「いっそふたりだけで死の世界に旅立ちたい」と思うようになったのです。
なぜ「家族」に手をかけるようになったのか 「ふたりだけでいたい」、こういう心理に至った若い男女は、昔からいくらでもいるはずです。
しかし、やはり理解できないのは、そこから、「家族を殺す」という着地点になぜたどり着いたのかということです。
途中までは、よくある思春期の心性として理解できます。
ただし、その「殺す」という暴力的な結論だけが理解不能です。
その意味では、町田市の事件もまったく同じです。
明るく人気者の同級生にひそかに思いを寄せる男子生徒。
ところが、女子生徒のまわりに集まるのは社交的で目立つ子たちであり、やや内向的でコミュニケーションをとるのが苦手な男子生徒が近づく余地はありません。
そういう男子が教室や廊下の片すみから、じっと少女を中心としたグループを見つめる…といった構図は、これまでもマンガやドラマにいくらでもあったはずです。
あるいは、状況に絶望して落ち込んだり生きる意欲を失ったりする場合もあるかもしれないし、「死ぬくらいなら」と勇気を振りしぼって気持ちを伝える場合もあるかもしれません。
しかし、16歳の少年が選んだのは、そのいずれでもなかったのです。
少年がいつ犯行を思い立ったのか、計画的であったのか、衝動的であったのかはまだわかっていません。
ただ、少年が被害者の少女に対して気持ちを告白したり、ストーカー行為を繰り返したりしていたような形跡はありません。
おそらく「好きなのにうまく伝えられない」もどかしい気持ちで長い時間をすごし、そんなある日「なんとかしよう」と思いついたことが「好きな相手を殺すこと」であったのかもしれません。
これまで、児童精神医学では、
「親殺しのファンタジーをもつことと、実際に殺すことの間には絶対的な違いがある」とされてきました。
たとえ面接の場面で 「お母さんを殺したい」といった話が出たとしても、治療者はそれを実際の殺人予告ととらえることはなかったのです。
むしろ、そのファンタジーをきちんと膨らまさせて、ひとつの物語を完結させるところまでもっていくことが「カタルシス効果」につながる、と考えていた精神科医も少なくなかったのです。
先行きが見えず、現実に対応できない状態に陥る
ところが静岡の女子高生はブログで十分にファンタジーを語ることができていたにもかかわらず、そこで満足することはなく、母親への毒物投与が行なわれました。
また、町田の男子生徒は、そのファンタジーを語るコミュニケーション能力も乏しいまま、思いつきの「殺意」の萌芽をそのまま実行に移したのです。
ここには、「考えることと実行することとの間には大きな違いがある」という原則が、いまや通じなくなりつつあるのです。
ではなぜ、途中までは「よくある少年期の悩み」をもっていただけであったはずの彼らが、自分ではなくて他者を突然、攻撃するという予想もできないような行動に着地するのでしょうか。
また、ファンタジーとして「こうだったら」と考えたことを、そっくりそのまま現実にシフトさせてしまおうとするのでしょうか。
もちろん明確な答えがあるわけではないのですが、いろいろなケースを見ながら感じるのは、何らかの理由で現実にうまく適応できない子が「ここではないどこかに行けば、なんとかなるかもしれない」と別の場所や未来に期待しうらくなっている、ということです。
すなわち行き場を失い、行き詰まっている状態になっているわけです。
たとえば、静岡の女子生徒にしても、いま住んでいる地方都市では現実的な母親とも世俗的な同級生ともしっくりこなかったわけです。
だとするならば、
「いつかこの町を離れて理系の大学に行けば、私と話が合う友だちができるはずだ」
「日本じゃダメでも外国に行けば、雑音のないところで化学に没頭できるに違いない」
と未来に希望を託す方法も、十分考えられたはずです。
ところが彼女に限らず、問題を起こしかけている彼らは「いつかどこかで」と先を夢見るのが非常に不得意なのです。
これには、いくつかの理由があると思います。
まず、考えられるのは、
本人自身に遠い場所や未来を想像する能力が低いのではないかということです。
しかし、私の経験で言えば、診察室での会話などを開いているかぎり、こうした子たちに想像力やコミュニケーション能力が一般の子より劣っているとはとても考えられません。
ですからこれは決定的な理由にはならないかもしれません。
次に考えられることは、
情報量が多すぎるということです。
現実に適応できない少年少女は、どうしてもネットの世界に耽溺しがちになる場合が多いようですが、そこには、
「東京に行ったところで目立つ子だけがチヤホヤされる現実はいっしょ」
「ロンドンの大学に留学しても純粋に学問に打ち込む学生は少ない」
など、夢を見ようにも見られないようなネガティブな情報があふれています。
そこで、「どこに行っても結局いっしょなんだ」と未来を夢見ることをあきらめてしまう子も、いるのではないでしょうか。
そして、もっとも重要な理由だと私が考えているのが、
社会全体が少数派の人たちに対して 「いつかどこかで」を想像させるだけの余裕を失っていることです。
「個性が大切」と口では言いながら、異性の目を意識して「モテるスタイル」をした人だけに人気が集中しているわけです。
「お金や名声だけが大切じゃない」と言いながら、女優や女子アナが結婚するのはIT長者やプロ野球選手ばかりという事実もあります。
「社会の流れに背を向けた少数派がカッコイイ」といった価値観は、いまは昔の話です。
興味がなくてもだれもがネット株取引をやっているようなフリをしなければならないのが現在の情況です。
とくに他人の目が気になる若い人たちは、よほど強い意志をもっていない限り、
「私はほかの人たちとは違うけれど、いつかわかってもらえるときがくるだろう」
とマイペースをつづけることはできないでしょう。
「自分をわかってもらえない。
モテない。
ギャグを飛ばすことができない。
親や先生としっくりこない。
住んでいる町がきらい」。
そういう悩みを抱えた若者たちに、私は言いたいのです。
いま、うまくいかないからといって、イライラやあせりを衝動的に他者や自分に向けないではしいのです。
「ここではないどこか」「いまではないいつか」にかすかでもいいから希望を託して、いまをしのいでもらいたいのです。
とはいえ、社会全体がこの先、より自由でより風通しのよいところになっていくという期待がもちにくいのは事実です。
そうしたいま、若い人にだけ「未来に希望を託せ」とは言いにくいのも事実です。
「大丈夫、あなたの未来はきっと明るい」と言ってもらいたいのは、若者や子どもではなくておとなのほうなのかもしれないのです。
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スクールカウンセラーの利用
スクールカウンセラーが小・中学校に配置されています。これを教師は上手に利用すべきです。
ただし、注意してほしいのは、カウンセラーは教師と生徒の仲介役ではないということです。
カウンセラーは生徒との関係性を重要視するので、本人の不利益であると判断した場合は、教師にすべてのことを伝えることはありません。
それはカウンセリングの基本的なスタンスであり、もっとも大切な約束事なのです。
生徒はカウンセラーが信頼できるからこそ、自分の心の内面を話せるのです。
学校側に筒抜けでは、自分の心の内など話すわけはないのです。
したがって、教師はスクールカウンセラーに生徒のカウンセリングを依頼したならば、経過を根掘り葉掘り開かずに、しかし完全に丸投げということはなく、情報交換という形式で、生徒にとってなにが必要かを話し合っていくことが大切です。
また心の病気かどうかを判断するときに、スクールカウンセラーの助言を求めることもできます。
ただカウンセラーの中には、ほんとうは医療が必要なのにカウンセリングにこだわるあまりに、医療機関との連携をあまり考慮に入れないカウンセラーもいないわけではないので、そのあたりのことは確認したほうが無難でしょう。
要は生徒にとって、なにが彼らのためになり、なにが彼らのためにならないかを考えるうえで、スクールカウンセラーを利用することをひとつの手段として頭に入れておけばよいのです。
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子供の心の病気の専門機関
子どもの問題について相談を受け付けている機関は、病院ばかりではありません。
さまざまな専門機関が用意されています。おおいに活用しましょう。
児童相談所
教育機関や地域の保健センターなどとの連携も深く、子どもに関する問題の総合窓口のような存在。スタッフは児童福祉士、心理士、医師など。
医療的な対応が望ましい場合には、児童精神科や心療内科などの紹介もしてくれる
精神保健センター
心の問題についての相談、精神障害福祉に関する相談などに応じてもらえる。
都道府県に1つ以上設置されている
医療機関
病気や障害が疑われる場合には、病院などの医療機関へ。
小児科か、子どもの精神科(児童精神科)で診断を受け、医療面でのケアが必要なら治療を開始する
小児科
子どもの病気全般を手がける。身体面の症状が強いときには、まずこちらへ
精神科・児童精神科
心の問題を専門に扱うところ。
身体的な症状でも、心の問題が大きいと考えられる場合にはこちらで治療を続ける
教育相談機関
教育センター、教育研究所などでは、教育相談室を設けていることが多い。
臨床心理士などが、相談やカウンセリングを受け付けている
学校
担任の教師と密に連絡を取りあい、場合によっては、子どもの状態に合わせた特別の指導を受けられる教室(通級・適応指導教室)に通うなど、学校生活に適応しやすくなるための方法を考えていく。養護教諭、スクールカウンセラーなどへの相談も考える
療育センター
(心身に障害がある子のための施設)
自閉症・発達障害支援センター
自閉症などの発達障害がある子の家族からの相談に応えるほか、療育や就労の支援、関係機関との連絡調整などをおこなっている
保健所・保健センター
乳幼児健診や育児相談、親子教室、依頼に応じた訪問指導などをおこなっている。身近な子育て支援機関
はじめの相談先は、どこでもアプローチしやすいところでかまいません。「どこにしようか」と悩んでいるより、まず声を上げてみることです。
医療機関以外のところでは、なんらかの病気や障害が疑われるときは、そこから専門医の紹介をしています。正確な診断は医師のみがおこなえるものだからです。
子どもの状態を改善していくためには、教育面での配慮も重要です。学校の先生とも良好な関係を保ち、ともに支えあう姿勢をもちましょう。
児童精神科というところ
子どもの心や行動の発達、その異常に関する十分な知識と治療経験のうえで、診察・治療をおこなう診療科が「児童精神科」です。
子どもの心のトラブルは、たんに発症の時期が低年齢というものだけでなく、小児期に特有のものもあります。
同じ精神科医でも、できれば子どもを多くみている医師にかかるほうが安心です。
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生徒にしてはいけないこと
精神論を振りかざすのは意味がありません。
それは不登校の子どもの劣等感を刺激することになります。
教師には受け入れがたいことかもしれませんが、たかだか学校へいけないだけのことです。
長い人生の中でそれほど重要なことではありません。
しかし、学校という組織はいまだに封建的なところがあって、校長を頂点とした上意下達の世界であり、「たかだか学校」という考え方が許されない構造がたしかに存在しています。
そしてそれゆえに、どうしても校長の意の下に精神主義を振りかざすような傾向もみられます。
けれども何度もいいますが、叱咤激励は、登校することに意味を見出せない不登校の子どもにはなんら効果はないし、逆効果であることも多いのです。
教師が親に伝えるべきことの第一は、子どもの登校を急かさないことだと思います。
さらにはいつでも学校は受け入れる準備があること、親が孤立しないように、ゆるやかなコンタクトを学校と取り続けることが重要なのだとすすめることです。
親は子どもが登校しないことで、自分の育て方が悪かったのではないかという自責の念を少なからず感じています。
したがって、教師はその罪悪感を増大させるような言動は、厳に慎むべきでしょう。
不登校になったのは教育方針が間違っていたとか、父親が家庭を顧みないせいだとか、家庭環境が悪すぎるとか、いわゆる原因探しのような話はしてはいけません。
不登校に共通の原因などないことは、これまでお話したとおりで、原因探しは親の自責の念をあおるだけで、ただでさえ孤立しがちな不登校の子どもの親の孤立感を深める結果になります。
つまり基本的なスタンスとしては、いまここでなにをすべきか、ということに焦点をあてて、話を進めていくべきでしょう。
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広汎性発達障害(自閉症・アスベルガー症候群)
自閉症は脳になんらかの障害があるために起こる広汎性発達障害のひとつです。
知的な遅れがない高機能自閉症は、アスベルガー症候群と診断されることもあります。
現れる症状
コミュニケーションの障害
●ことばの遅れ、または欠如
●話す能力はあっても、会話が成り立ちにくい
●オウム返し、疑問文による要求など、独特の言い回しをする
●ごっこ遊びやものまね遊びをしない
対人関係の結びにくさ
●視線や表情、身ぶりなど、非言語的なコミュニケーションの手段を使えない(理解できない)
●年齢相応の友人関係が築けない
●喜びや興味などを他人と分かちあえない
●状況に応じた行動の調整ができない
脳の中で起こっていること
●認知機能(ことば、身のまわりの環境、ものごとの流れなどの理解)に問題がある
●知覚の情報処理がうまくできない(必要な音を聞き分けられないなど)
●興味の対象がかぎられており、その内容やこだわりの程度が普通ではない
●なぜ意味があるのか理解しにくい手順や儀式に執着する
●手をひらひらさせたり、叩いたり、くるくる回り続けるなど、一定の行動を何度も繰り返す
●物体の一部など、機能とはかかわりのない要素に強くこだわる
自閉症・アスベルガー症候群の特性
●自分を取り巻く環境の意味がわからない
●耳からの情報の理解が苦手
●目に見えない概念の理解がむずかしい
●想像力を働かせることが苦手
●気が散りやすい
●自由な時間に何をすればよいかわからない
自閉症の特質
広汎性発達障害は、心の発達のいくつかの面において障害が見られるもので、自閉症がその代表です。
自閉症は1000人に1〜2人の割合で発症するといわれてきましたが、最近は100人に一人です。
自閉症そのものを治すことはできませんが、その特質を理解し、療育、つまり生活習慣や人とのかかわり方などを教えていくことで、落ち着いて過ごせるようになっていきます。
自閉症は「早く治す」ことを目的に考えるのではなく、自閉症ゆえに生じるさまざまな困難を解決し、「その子らしい生き方」を実現できるように働きかけていくことを考えていきます。
そのために必要なのが療育です。
自傷の繰り返しなど、激しい問題行動がみられるときや、気分の変動が激しい場合などは薬物療法が試みられることもありますが、これはあくまでも補助的なものです。子どもが混乱しないような対応を考えていきましょう。
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ボーッとしている
こんなことはありませんか?

軽度の発達障害があると、授業態度や学習面で大きな問題が生じることがあります。「なんで、できないんだ!」と叱るだけでは、問題は解決できません。
ふだんの生活では知的な発達の遅れを感じさせないのに、テストとなるとうっかりミスばかりで、成績はいっこうに上がらない。読み書きは得意なのに、計鼻となると、まるっきりわからない、そんな子どもたちの存在は、昔から知られていました。
原因はなんであれ、こうした子どもたちは、期待されている行動がとれないために、ほめられる経験が少なくなり、自己評価がいちじるしく悪くなりがちです。
まわりの大人は、彼らの「できないこと」ばかりに目を向けず、得意なことを認め、それを伸ばすように働きかけることが大事です。
心がけたい接し方
●医療機関を受診して、正しい診断を受ける。その結果を、家族はもちろん、学校の先生などにも伝え、子どもの状態を理解してもらったうえで、学習指導の方法を検討する
●注意のしかたは短く簡潔に。するべきことを具体的に伝える。リストをつくるのもよい
例)「ノートは引き出しにしまおうね」
●むずかしすぎる課題を与えない。課題ができたら、タイミングよく、思いきりほめる
●落ち着いた環境をつくる
さけたい接し方
「努力が足りないだけ」と、さらに厳しく接する
感情的で、くどい叱責をする
例)「きちんと片づけなく右やダメじゃない。まったく何度言ったらわかるの! どうしようもない子ね。ほら、ノートが出しっぱなしよ」
好ましい行動をとったときも「できて当たり前」と注目しない
叱られ続ければ、だれでも「自分はダメな人間だ」という気持ちが強まっていく。
身体症状が現れたり、不登校に陥ってしまったりするなど、二次的な問題が起きてくる場合もある
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うつ病を再発しない為に
子どものうつ病の発症率は予想以上に高いということが明らかになってきました。
欧米の予後調査では、その半数以上は青年あるいは大人になって再発したり、他のさまざまな障害を合併したり、対人関係や社会生活における障害が持ち越されてしまう場合も少なくないことが報告されるようになりました。
ただし、子どものうつ病それ自体は、大人のうつ病と比べて回復しやすい病態と考えられます。
したがって今後の課題は、子どものうつ病をいかに再発させないか、つまりうつ病の予防ということが重要であると考えられます。
そこで、子どものうつ病予防のポイントを説明しましょう。
薬物療法を必要十分量、十分期間行う
うつ病再発の最も重要な因子として、早すぎる抗うつ薬の減量・中止が指摘されています。これまでの報告をまとめると、うつ病の再発はうつ症状消失後一〜六カ月の間に最も多いと言われており、抗うつ薬の減量・中止がきっかけになることが少なくありません。
したがって、うつ症状消失後も最低六カ月間は用量を減量することなく服用することが推奨されています。
ただし、うつの状態が改善してくると、同じ量を服用していると眠気が強まったりすることがあります。
その場合は主治医と相談して減量していくことになります。
再発の初期症状を早めに察知する
再発時の症状は、初回の病相の症状と同様のパターンをとることが少なくありません。
初回の病相が不眠から始まった人は、再発においても不眠から始まることが多く、食欲不振から始まった人は、食欲不振から再発することが多いのです。
したがって、初回の状態をよく思い出し、どのような症状から、どのようなパターンで始まり、どのような経過をたどっていったかを認識し、同様な症状が再び出現したら、すぐに主治医と相談することが重要です。
本人は気がつかなくても、家族や周囲の人たちが指摘してあげる必要があります。
ストレスや身体の叫びに気づく
今、自分にはストレスがたまっているのか、何がストレスになっているのかに気づくことが自分を管理する重要なポイントです。
うつになりやすい人は、真面目で責任感が強く、無理をして自分の限界以上に頑張ってしまう傾向があります。
その反面、自分にストレスがたまっていることや何がストレスになっているかについては無自覚で、失礼かもしれませんが、自らをいたわる面が少し欠けていると言えるかもしれません。
身体の訴えるかすかな叫びを敏感にキャッチし、ほんの少しずつたまっていくわずかなストレスを察知していく必要があります。
うつは身体の症状で出現することが多いので、疲れ具合はどうか、ぐっすり眠れているか、おいしく食べることができているかについて家族がチェックする習慣をつけましょう。
対人関係を大事にする
うつ病の誘因として最も多いものは、対人関係のストレスです。
とりわけ友達、家族、同級生、恋人、教師などの「重要な他者」との関係が発症に大きく関わっていることが少なくありません。
悩みがあったり、問題が生じたら、ひとりで背負い込まないで、家族や友人に相談してみましょう。
人に弱みを見せてはいけないと考えず、人に頼ることも大事であることを覚えましょう。
実は、周囲はそれを待っていることが少なくありません。自分の感情を抑え込みすぎると、ストレスの原因になります。
自分の本当の気持ちを身近な人に率直に表現することは重要です。自分が本音を伝えることができると、相手も本音で心を開いてくるようになるものです。
直接本音を伝えることができない場合は、Eメールや手紙を用いて自分の意見を伝える工夫も必要です。「愚痴を言い合える友達」を作ることは、精神衛生上きわめて重要なポイントになります。
環境の変化には注意が必要
うつは進学、進級、転校、引っ越し、親の離婚、死別などの環境の変化がきっかけになって発症することが少なくありません。
それが喜ばしいできごとであれ、不幸なできごとであれ、慣れ親しんだ環境が変わることは、引き金になることが多いのです。
進学、進級、転校、引っ越しなどの予測できるものに対しては、心の準備を十分に行い、とくに無理をしないように注意する必要があります。
過去にうつになった経験のある人は、発症時の生活を振り返り、そのときと同じ状況になっていないか、チェックする必要があります。
カテゴリー:子供の心の病気
原因不明の体調不良(身体症状)
体に異常はなくても、痛みや吐き気などの身体的な症状は起こります。症状を引き起こしている原因は、「心」にあります。
心の負担が体に表れる
子どもが体の不調を訴えるときには、まずは身体的な病気にもとづく症状ではないか、調べておく必要があります。
それでも体の異常がみつからなければ、心の問題が症状を引き起こしている可能性があります。心と体の状態は密接に関係しているものですが、とくに子どもはその傾向が強いといえます。
どこも悪くないのだから仮病ではないか、と思うかもしれませんが、症状を装っているわけではなく、本当につらかったり、痛かったりするものです。
長引く場合には、医師とともに改善の方法を探っていきましょう。
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子供のストレスを見逃すな!
子育てに悩みはつきものです。とりわけ、今の時代のお母さんたちがかかえる育児不安は、非常に大きいようです。
お父さんは仕事で大忙し、かといって、ほかに頼れる人もいない……。子どもの様子、言動に不安を覚え、「うちの子、だいじょうぶかな?」と一人で悩んでいる人も多いのではないでしょうか。
子どもたちが引き起こす事件や、児童虐待、ひきこもりの増加といった報道も、不安をかきたてる材料のひとつでしょう。
ただし、子どもの「ちょっとした心のストレス」は、あって当然のものといえます。
子どもたちは、日々、新しい経験を積みながら心を成長させていきます。その過程は平坦なものとはいえないからです。
とはいえ、それを乗り越えられず、子ども自身、もがき苦しむこともあります。
見守る親にとっても苦しい経験です。
そんなとき、親はどう対応すればよいのでしょう?どんな手助けができるのでしょうか?
「あって当たり前」のことから「本格的な手助けが必要」という状態まで、子どもの心にトラブルが生じたときの対応策を考えなければいけません。
適切な対応をとるには、「どんな状態なのか」の正確な理解が必要です。
その点についても、このサイトがお役に立てれば幸いです。
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教師の対応
学校は子どもにとって、最も緊張し、エネルギーを使う場です。その意味で、うつの症状が比較的出やすい環境と言うことができます。
うつ病のサインに気づく
うつの子どもは、学校で次のようなサインを出す可能性があります。
�@成績が少しずつ下がっていく、�A授業中ボーッとすることが多くなる、�B午前中は調子が悪い、�C体重が減少する(あるいは成長期に期待される体重増加が見られない)、�D給食を残すことが多くなる、�E孤立することが目立つ、�F涙もろくなる、�G疲れやすい、�H授業に集中できない、�I気力がなくなる、�J遅刻することが多くなる、�K休みがちになる、�Lイライラしやすくなる、�M元気がない。
いずれの場合も、これまでの適応度と比較して変化している場合、家族と相談してみる必要があるでしょう。
予想以上に、うつの子どもがいることを認識する
「子どものうつ」は一般に考えられているよりずっと多く存在する可能性があることを認識してほしいと思います。
うつ病を体の病気と考える
うつ病は、身体の病気です。対応の基本は、身体の病気を参考にするとわかりやすいと思います。
たとえば、足を骨折した子どもにとって、骨折した当初は十分な安静の時間が必要となります。
うつ病の子どもも同じなのです。
うつ病の子どもは頑張り屋が多いので、ときには家族と相談して、過剰な頑張りを制限することが必要な場合があるかもしれません。
骨折の場合、急性期を過ぎても、すぐには無理をさせず、少しずつリハビリをしていくのは当然のことです。
うつ痛の子どもも同様です。
保健室登校や半日登校など、本人のできる範囲で少しずつ試していく場を作ってほしいと思います。
実際には、骨折の子どもが本来の状態に回復するのには長時間かかるもので、少しずつ現実生活に慣れていくという経過をとります。
うつ病の子どもも、学校生活を通して、皆の助けを借りながら、少しずつ自信を回復していくものです。
うつは特別な病気と考えないでほしいと思います。
完壁主義、過剰に頑張ることを考え直す
うつ病になりやすい性格があります。
執着性格やメランコリー型性格と呼ばれ、凡帳面、真面目、完璧主義、頑張り屋、強い責任感、人に気をつかうなどの性格を指します。
子どもの場合、性格は未完成であり、変化しうる状態です。このことは家庭教育や学校教育によって修正可能な部分があるということです。
しかし、家庭教育においても学校教育においても、完璧主義、きちんとしなければ気がすまない面、凡帳面、過剰な頑張りをやや礼賛しすぎるところがあるのではないかと思います。
「早すぎる、過剰な凡帳面さ」は、同時にマイナス面を持つことを認識する必要があるのではないでしょうか。
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不登校は社会的ひきこもり?
不登校の80%はなんらかの形で社会参加を果たすと先ほど述べました。
の中の3割はひきこもりになってしまうというデータも存在しています。
つまり不登校のままひきこもってしまうケースと、いったんは社会参加を果たしても再びひきこもってしまうケースがあるということです。
不登校と「社会的ひきこもり」はなにが同じで、なにが違うのでしょうか。
まず同じ点は、その「状態」が同じであるということです。すなわち学校からの撤退と社会からの撤退です。
学校からひきこもること、社会からひきこもること、この状態については同じです。
不登校にしても社会的ひきこもりにしても、それは病名ではなく、状態であるということです。
しかしその根底にあるものは異なっていると私は考えています。ひとつのケースとして私自身のことをお話ししますが、私自身も学校が苦手で不登校生徒でした。
私は、学校は、「束縛されている」ような圧迫感がなにより嫌いでした。
どうしてほかの生徒と同じように、なんでもかんでも横並びにしなければいけないのか、個性を重視するといいながら、集団行動が苦手な私をダメ人間扱いするのか、効率的に行動すると人間性がないなどと揶揄されなければいけないのか……、これらのことが重なって私はどんどん学校が嫌いになっていったのです。
すべての責任は私にあります。もちろん日々の仕事の中で辛いことやいやなこともありました。けれどもそれは不登校時代とは違い、他者からの精神的圧力によって、自分自身が理不尽であると感じて、その場から撤退するということではありません。
あくまでも自己責任の中で恣意的な判断として精神科医という仕事を継続するかを決定しているのです。
つまり私は不登校であったのですが、社会的ひきこもりではありません。
今後も仮に仕事を辞めることはあっても、なんらかの形で社会とは関わっていくと思います。
不登校の人が感じる精神的負担は、束縛されているというなにかしらの圧迫感に由来しています。
これに対して社会的ひきこもりの人の精神的負担は、自分自身が社会から排除されているという焦燥感に由来しているのではないでしょうか。
社会的ひきこもりの人が社会から疎外されていると感じるのは、その人の自信のなさや人を恐れるという観念に基づいています。
不登校がより個人的な自分自身の存在への葛藤がテーマであるのに対して、社会的ひきこもりは、社会との相対的存在が葛藤のテーマになっているという点が不登校と異なっていると私は考えているのです。
では、具体的に不登校から社会的ひきこもりにならないようにするには、どうすればよいのでしょうか。
先に述べたように、不登校の葛藤テーマはより個人的な問題ですから、学校といぅ束縛から逃れることができた時点で少なくとも不登校という状態ではなくなるわけです。
不登校をただ単に学校へいかないという点だけから考えれば、学校へいく必要がなくなればもう不登校ではないのです。
この時点で多くの不登校の人は、自己の意思決定によって人生の選択を託された場合に、束縛という呪縛から解放されることになります。
束縛から解放された不登校の人の多くが、自己の意思決定のもとに、なんらかの形で社会参加を果たしていくことになります。
けれども不登校の人は、そのまま社会的ひきこもりに陥ってしまいます。
その原因として、対人関係を過剰に恐れ、人間関係に過敏で、自分への自信の欠乏が、社会的ひきこもりの人には存在していると思います。
自分自身が生かされていないと考える一方で、生かす場所に一歩進み出るのを非常に恐れているのではないでしょうか。
社会的ひきこもりに移行する不登校の人は、すべての人が対人過敏という一面を有しています。
そして不登校から脱して、社会参加を果たしながら、再び社会的ひきこもりになってしまう人も同じ面を持っています。
これを克服するための王道はなにもなく、「とにかく、なんでもいいからやってみる」しかないのではないかと私は考えています。
けれども、それをあせってはいけないのはいうまでもありません。無理強いは禁物です。
ひきこもっている人はその本人がもっともあせっているし、辛い気持ちになっているのです。
それは精いっぱい努力をしている人に「もっとがんばれ」というのと同じで、その人を追い込むだけですし、本人の意欲も損ないます。
わかっている、わかりすぎていることを、ことさらにいわれれば、意欲も削がれるし、腹も立つのです。
準備が整ったところで、本人がその気になったときに周囲が背中を押してやってください。
それでも準備を怠らずに、本人が殻を破るようにしなければなりません。
たしかに「いうは易し、行うは難し」の典型ですが、とにかくなにかしなければいけないのです。
家族やまわりの人は、手をこまねいていてはいけません。
ただし、本人に指示をしたり、詮索したり、ひきこもりの原因探しをしてはいけません。
いまなにを準備すればいいのかを共に考えていかなければなりません。そしてなにより忍耐強く待たなければなりません。
そうすれば、いつか必ず道は開けてくると信じてください。
カテゴリー:子供の心の病気
妄想を言う
だれでも思春期の頃は、自分がどうみられているか非常に気になり、被害者意識をもつ傾向があります。
ただし、明らかに内容がおかしく、訴えが執拗な場合には、幻覚や妄想を疑う必要があります。
幼児期に「想像上の友だち(イマジナリーコンパニオン)」をもつ子どもは少なくありません。
本人には声が聞こえたり、姿がみえたりすることもありますが、現実には存在しないということも、だいたいわかっています。
まわりの大人は頭ごなしに否定せず、子どものおしゃべりを楽しんでいればよいでしょう。
多くの場合、空想をあたかも現実に起きたことのように感じているだけですが、ときには強い心理的なストレスのサインであることもあります。
子どもの様子全体をみて受診させるかどうか決めましょう。
空想や、たんなる思い込みなら心配ない
子どもは夢見がちな存在です。
非現実的な空想は想像力の源であり、現実の世界で傷ついた心の痛みをいやしてくれる存在でもあります。
また、人はだれでも「自分はこう思う」という思い込みはあるものです。
しかし、その空想や思い込みによって、日常生活に大きな支障が現れたり、強い不安を覚えるようなら、妄想の可能性があります。治療が必要な心のトラブルサインと考え、早めに受診させましょう。
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家族の対応
うつの子どもの対応においては、家族に働きかけて協力を得ることが不可欠です。
では、治療者と家族が協力して子どもをよい方向へ導くためには、どのような対応が必要なのでしょうか。
以下に列挙してみたいと思います。
うつ病について理解する
うつ状態は、周囲から見ると、気がゆるんでいるように見えたり、怠けているように見えたりすることが少なくありません。
他人の子どものことはよく理解できるのに、自分の子どものことになるとなかなか気づかないことがあります。
しかし、本人は見かけよりずっと苦しいのです。
現在の状態は、嫌なことがあったせいだけではなく、怠けでも性格のせいでもなく、「うつ病という身体の病気」であることを理解してください。
子どもの心理過程を理解する
うつの症状や経過を知ると、子どものこれまでの苦しかった体験やつらかった過程が、すなわち、なぜあのときあんなことを言ったのか、なぜあのような行動をとったのかを少しずつ理解できるようになってきます。
これからでも決して遅くはありません。
なぜあのとき理解してあげることができなかったのかと後悔するより、これから何ができるか、何をしていくべきかを考えていきましょう。
「子どものうつ」は精神科医でも見逃すことが少なくないのですから。
十分な休養をとらせる
何度も述べますが、うつは心身が疲れ果てた状態と言えます。
第一にすることは、とにかく子どもに十分な休養をとらせることです。大切な用事が迫っている場合はなおさらです。
今は子どもをゆっくり休ませ、子どものつらさ、苦しさ、悲しさに共感して、包み込んでやる以外にないのです。
どんなにすばらしい治療法があったとしても、十分な休養がないと意味がありません。
*励ましたり、ほっぱをかけたりしない 励ましたり、はつばをかけたりすることは禁物です。
善意ある激励も結果的に本人を追いつめてしまいます。
子どもたちは、こう考えてしまうのです。
「こんなに励ましてもらっているのに、何もできない自分はなんてだめな人間だろう」と。
そして、さらに自分を責めてしまいます。
家族はあせらず、騒がず、温かく見守ることが重要です。インフルエンザで寝込んでいる子どもに気合いを入れたりはつばをかける親はいません。
うつは、基本的には身体の病気と考えて対応していくとわかりやすいかもしれません。
子どもの問題行動の意味を理解する
子どもがどんな悪態をついても、どんなに反抗的であっても、どんなに冷淡であっても、それは最も頼りにしている人への裏腹な態度なのです。
とくに、「子どものうつ」ではイライラ感や衝動性が出現しやすいため、本当はそんなことをしたくないのに、乱暴な態度や激しい行動に出てしまうこともあるのです。
そして、それはたいてい最も甘えることのできるお母さんに対して出てしまいます。
そのようなとき、お母さんも本当につらく、苦しいと思います。
しかし、今自分が感じているつらさや苦しみと同じものを子どもも感じているのかもしれないと考えると、子どもに対する理解が進み、対応の方法が見えてくるでしょう。
治癒のペースを理解する
抗うつ薬が効いて元気になったとしても、治癒のペースはゆっくりしていることを理解し、子どものペースを尊重するように心がけてください。
家族もゆったりとした生活に直し、家族皆の精神衛生にも気をつけましょう。
子どもがようやく元気になってきたのに、家族は相変わらず忙しい生活をしていたら、子どもは気があせり、ゆっくり休養などできないのではないでしょうか。
家族の在り方を問い直すチャンスと考える
子どもがうつになったということは、知らないうちに何らかの過剰な負荷が本人にかかっていた可能性があります。
本人が自分のペースを振り返る機会にできたらすばらしいことだと思います。
家族も、今一度家族の在り方を問い直すチャンスと考えてみてはどうでしょうか。子どものうつをきっかけに、皆がこれまでの生活を振り返り、今後の生き方を考える機会になればと思います。
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子供の気になるクセ
子どもの気になるクセ(習癖)に悩んでいる親は少なくないでしょう。
結論からいってしまえば、過剰な心配は不要です。心配しすぎて、あれこれ口をはさんだり、「しつけが厳しすぎたのだろうか」などとくよくよ悩んだりしないほうがよいとさえいえます。
厳しく叱ってやめさせるのではなく、さりげなくほかの行動をとるように促すことを心がけましょう。
ただし、抜毛がひどく、容姿にも影響して外出をいやがる、あるいは就学年齢になっても排尿や排便の失敗が続いているなど、生活するうえで問題が大きいようなら、医師に相談したほうがよいこともあります。
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子供の不登校と親の対応
自分の子どもが学校へいきたくないといい出したら、当然のことながら親はまず「どうしてだろう」と考えます。そして最初は必ず「学校へいきなさい」と強くいいます。
なぜならいまの子どもの親たちが学生だったころには、「不登校」生徒はまだほとんどいなくて、学校へいくことは三度の食事を食べるように当たり前に生活の一部として存在していました。
「登校しない」ことは、親の理解の範噂にないのです。さらに、どうしてよりによって自分の子どもが登校しないようになってしまったのか、と嘆く事態も起こります。
この反動から、親は最初、必ず登校するように子どもを説得します。
子どもが登校しなくなったのは、自分たちの育て方が悪かったのではないかという誤った罪悪感もあるために、子どもに強く登校を促してしまうのです。
しかし、これはまったくの的外れな罪悪感です。不登校の原因ははっきりしないことがほとんどなのです。
原因探しをしても意味がありません。不登校の子どもの親のタイプに、これといって特徴づけられるものはありません。
けれども周囲の人たち、ときには教師が「不登校」 の理由を探そうとして、家庭に問題があるからといった見当違いのことをいうことがあります。
この言葉は、ただでさえ子どものことで敏感になっている親にとっては非常に傷つく言葉になります。
その結果、親は「なんとかしなくては」と考えてあせり、子どもに対して 「自分たちが悪かったので、自分たちが変わる」と話し、登校を強制するようになってしまいます。
これは悪循環をもたらします。
自分では「このままではいけない、なんとかしよう」と思ってもどうしても学校へいけないともがいている子どもにとって、「学校へいけ」と強制されることは、「十分に努力しているのに、どうやってこれ以上努力するのか」という無力感と「なんで親はこんなに自分のことがわからないのか」という絶望感につながるのです。
たしかに、早く子どもが登校して勉強が遅れないようにしなくてはとか、もしかしてこのままひきこもってしまうのではないかと親が危供する気持ちはよくわかるのですが、登校の強制は悪循環を生む結果になります。
親は、子どもが「登校できない」という事実をまず受け入れなければなりません。
ただし、これには例外もあって、「いじめ」によって登校できないのであれば、それは学校へしかたんばん直談判にいってでも適切な処置を施さなければなりません。
「いじめ」は子どもの心に深い傷を残しますし、それを放置することは親の責任を放棄するようなものです。
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心療内科、精神科への受診
教師の中には、心療内科や精神科が、不登校の子どもに対してなにができるのかと否定的に考えている人も少なからずいます。
たしかにそういう二面もないとはいえません。
心療内科、精神科を受診して、みるみるよくなり登校できるようになるということはめったにありません。
不登校の子どもに対する私のスタンスとしては、心療内科や精神科に通うことが、彼らが学校にいっていないぶんの社会的経験の一助になればいいというものです。
それは、学校以外の体験が彼らの将来に役立つのではないかと私が考えているからです。
そのことに対しての教師の考えも一致するところではないでしょうか。
だからそれほど心療内科や精神科にかかることに対して、構える必要はないと思うのです。
ただし、不登校の子どもがあまり受診していないクリニックや病院は避けたほうがよいかもしれません。
いつ受診をすすめるかについては、とくに決まったマニュアルはありません。いつでもいいと私は思います。
その理由は先ほど述べたように、受診は彼らの体験のひとつにすぎないし、体験する選択肢が多いほうが彼らにとってもよいのではないかと考えるからです。
ただ親が孤立し、親子とも孤立無援の状態に陥っているときには、その打開策のひとつとして受診は適切なものであると私は思うのです。
不登校が単に学校に登校しないということだけではなく、心の病気であることはしばしばみられます。
教師がこの点について専門的な判断ができるわけではありません。
しかし、生徒をよく見ている教師であれば、ふたつの点に注意してほしいと思います。
ひとつは、先に述べた不登校との鑑別が困難である統合失調症のはじまりの場合です。
注意すべき点としては、統合失調症の初期症状が、家庭訪問で親から聴取できたとき、あるいは本人が学校に出てきたときに認められたら、医療機関への受診をすすめてください。
教師が自分で判断することはいけません。
統合失調症の治療はカウンセリングで治療できるものではないのですから、必ず医療機関を受診させなければなりません。
治療の遅れは、彼らの一生に大きな影響を及ぼすものであると教師も自覚しなければなりません。
もうひとつは、社会不安障害のはじまりがあるかもしれないことに留意してほしいことです。
人前で発表するとき過剰に緊張する姿が、ただの「恥ずかしがりや」の城を超えている場合、それは単なる性格傾向ではなく「社会不安障害」という心の病気である可能性もあります。
とくに社会不安障害の発症は15歳ごろがもっとも多いので、教師が社会不安障害の発症時期に立ち会う可能性が高いのです。
けれども「恥ずかしがりや」がかなり極端であっても、周囲にはそれが性格のためであるという理解をされやすく、心の病気であるという認識は低いという現状はまだまだ存在しています。
社会不安障害は治療可能な心の病気であることが現在ではわかってきました。
ただ単に慣れればよいとか、性格を強くすればよいとか、気合いを入れれば大丈夫などという安易な精神論だけでなく、それが病気である可能性も高いのですから、教師は、極端な恥ずかしがり、内気な生徒には、社会不安障害の可能性を考慮に入れる必要があるのは当然のことだと思います。
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仕事や対人関係でトラブルを抱えている人への対応
周囲を見渡せば、誰でも仕事上や対人関係でいつもトラブルをかかえている人のひとりぐらいは思い浮かぶでしょう。
もちろんそれだけでその人に心の病気があると判断することはできません。
けれども以下の1〜5の項目を満たしている人があなたの周囲にいれば、その人はまず間違いなく境界性人格障害であると思われます。
1:見捨てられ不安
自分にとって重要だと考える人から見捨てられるのではないかという不安が、彼らの中に常に存在します。そのため見捨てられないように異常なまでの努力をします。
その努力とは、自分を振り向かせるための過剰な食事制限だったり、終日、相手の居所を確認するために電話をすることだったりします。
しかし、そうしたことのきっかけとなる出来事の多くは些細なことです。
たとえば、相手が多忙で、待ち合わせに30分遅刻した、訪問したときに偶然留守だった、たまたまほかの用事で電話に出られなかったなどといったことです。
彼らは、そんな些細なことで、自分の存在を脅かされるような不安に陥ってしまうのです。
2:不安定で激しい対人関係
彼らの対人関係の落差は非常に大きく、相対する人の評価が目まぐるしく変転します。
たとえば私のような精神科医との関係でも不安定さを露呈します。最初は有能な精神科医という評価をしていても、それが続くことはありません。
たまたま医師が診察中についたため息から、自分を見下していると感じて、「あんなに高慢な精神科医はいない」という評価に変わったりします。
そうかと思えば、またすぐに評価が上がるというように、どんどん変わっていきます。
これと同じようなことが他人との関係の中で起こるのはいうまでもありません。
3:同一性障害
他人への評価が変転するのに伴い、自分の在り方についてもさまざまな矛盾を示します。
たとえばボランティアで老人ホームを訪問したりする一方で、他人を顧みず暴走行為を行ったりするのです。この矛盾を彼らが理解することはありません。
4:衝動性
衝動性の多くは自己破壊的な行動として表れます。
些細なきっかけで、リストカット、過剰な飲酒、過食、不特定多数とのセックス、無謀運転、薬物依存、下剤の乱用などを行います。もっとも頻繁に行われるのはリストカットです。
また、見捨てられないように、「自殺する」と脅したり、そうした素振りを見せることもしばしば認められます。
5:慢性的な空虚感
彼らは、ほとんどいつも憂鬱で不快な気分で過ごしています。
なにをしても満足感が得られないという空虚な気分をいつも抱いています。
具体的に周囲はどんなことに気をつけてみればよいのでしょうか。
まず境界性人格障害の人は初対面の人には、修げな印象を抱かせます。これはある意味、意外な感じもします。
彼らのその後のかまびすしい関係性の構築や、こちらが心も体もぼろぼろになるほど疲れ果てるような状態に至るのとはまるで正反対です。
けれども最初は、あとでは想像できないほど儚げで、壊れもののような印象を抱かせるのです。
そんな彼らを「なんとかしてあげなくてはいけない」と思うような人は、彼らの病理を引き出す結果になるのです。
境界性人格障害の人も本能的にそういう人を察知するようで、意識することなく周囲にいる多くの人間の中から、彼らのまさに「おめがねにかなった」人間を選び出すのです。
彼らにまったく共感しない、理解しようとしない人は、境界性人格障害の人も最初から相手にしないようです。
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テレビやゲームは心の発達を妨げる?
テレビやビデオ、ゲームなどに対して、最近は内容もさることながら、「ことばを遅らせる危険性が高まる」と、そうしたものに触れること自体を問題視する声が高まっています。
一方で、ことばの遅れを「長時間テレビをみせていたせいだ」と単純に結論づけることには疑問の声も上がっています。
自閉症など、もともとことばの習得が困難な障害をかかえている子もいるからです。
テレビやゲームも子どもたちを取り巻く環境のひとつです。取り上げるのではなく、上手につきあっていく方法を考えればよいでしょう。
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ひきこもりへの、親・家族の対応
「ひきこもり」の子どもが家族にいたときに、どういった対応をすればよいでしょうか。
いくつかのポイントをご紹介します。
母子一体化にならない
自宅にひきこもっているときに陥りがちなのは、母子が一体化して、がんじがらめになってしまうことです。
もちろんすべてのケースがそうだといっているわけではないのですが、しばしばそうした傾向が認められます。
母親は自分の子どもがこうなってしまったのは自分の育て方が間違っていたのではないかと少なからず感じています。だから母親はそれこそ自分のすべてを賭けて、子どもをなんとか立ち直らせようとするのです。
むろん、子どもは現在の状態に満足していることはないので、自分なりに歯がゆく思っています。
けれどもそのことを彼らはしばしば自分自身の問題ととらえず、また自分から問題に直面することなく、自分がこうなったのは親のせいだということがよくあります。
こうした素地のもと、母親は子どものために財産、時間などを無制限に使い、子どもは際限ない要求をし、自らの根拠のないプライドを守り続けるのです。
母子ともに社会から孤立し、また、母親が自分のすべてを犠牲にして子どもに対応することが、結果的に子どもを自立の道遠ざけてしまうのです。
その関係性には一種の「陶酔感」が存在していて、抜け出せなくなる魔力のようなものがあります。
母子一体化の中では、当人たちはそのことに気付かないので、周囲の人が穏やかに忠告することがなにより必要なのです。
父親の役割を示す
母子一体化を生じさせる素地として、家庭の中の父親の役割低下もひと役買っています。父親のタイプとして多いのは、家庭を顧みない仕事人間のことが多い傾向があります。
父親がなにかをしたからといって、ひきこもりがすぐに改善するということではありません。
けれども父親がたとえば子どもと少しでも話し合ったりすれば、それがなにげない世間話であっても、母子という二者関係に風穴を開けることはできるのです。
もちろん、それまでまったく家族関係に参加していなかったのが、いきなり教訓めいたことをいっても効果はまったくありません。
下手をするとさらに彼らが父親を遠ざけ、母子一体化を強化することにもなりかねません。
大切なことは、父親が生活の一部を家族のために使うことです。子どもとなにかをしなければいけないわけではなく、妻の家事を手伝うことでもよいのです。
とにかくそれまでの生活パターンを変えることが必要なのです。
価値観を押し付けてはいけない
しばしば家族や周囲の人が陥りがちなのは、ひきこもりの人への「説教」「批判」「命令」「否定」です。
彼らに対して「働かなければ一人前とはいえない」「社会参加は私たちの義務だ」「こんなふうになったのは、結局はお前のせいだ」などといったりしてはいけないのです。
そんなことは本人もわかっているし、痛いほどそのことを感じているのです。
いまさらそんなことをいわれても、「親はなにもわかっていない」と思うだけで、なんの解決にもならないどころか、かえって無力感を助長して、ひきこもりを長期化させてしまうことにもなりかねません。
したがって周囲の人間は、まずこの状態が「いま、ここにある」ことを認識し、できる限り肯定的なメッセージを送り続けなければなりません。
また彼らの気持ちを探ったり、操作しようとしてもいけません。もっとも苦しんでいるのは当の本人であることをまず考えてください。
探りや操作は彼らの猫疑心をあおるだけで、解決にはつながらないのです。
あせってはいけない
むずかしいことですが、あせりは禁物です。
「いつまでこんなことが続くのか」「将来はどうなってしまうのか」「早くなんとかしないと、まともに生きていけなくなるのでは」と思うのは仕方がないことです。
しかし、周囲が「早く早く」と急かしてもなんの解決にもなりません。むしろ本人の罪悪感を助長したり、無力感を感じさせたりして逆効果です。
ひきこもり対策に「これをすればすべてがうまくいく」などという魔法はありません。
また、周囲の人、とくに親は「一刻も早く現状を打破しなければ」とあせって、自分の生活のすべてを彼らに捧げてはいけないのです。
親と子の閉塞状況は、悪循環を生む土壌にしかならないと考えてください。
周囲の人は自分の人生を生きることが大切です。
人は自らが輝いているときこそ、近くにいる人に影響を及ぼすことができるし、言葉にも重みが出るのです。
また、余裕を持って全体を傭轍できるようにもなります。周囲の人は、自分らしく生きる、自分らしい生活を送るようにすることが「社会的ひきこもり」や「ニートの人にもよい影響を与えるということを認識すべきなのです。
家族から撤退していても、緩やかなコンタクトを取り続ける
ひきこもっている人が、家族や周囲の人との接触を完全に避けている場合でも、緩やかなコンタクトは取り続けてください。
このとき「どうしたんだ」「たまには外の空気を吸ってみたら」という安易な呼びかけをしていけません。
彼らはそうできればどんなにか楽だと思っているのですから、できないことを気楽にやれといわれても、「ああ、やっぱりなにもわかっていないんだ」と思うだけで、なんの解決にもならないどころか、彼らの孤立感を深めることになってしまいます。
その一方で彼らは周囲の動向はいつも意外なほど気にしています。
したがって緩やかなコンタクト、たとえば顔を見たら、返事はなくとも声をかけるとか、彼らに関する日常生活の出来事があれば、その事実だけを簡潔に伝えてあげることが必要です。
「甘んじて受けるべき」「親の愛情を示すべき」という意見もないわけではありません。
しかし、暴力はさらなる暴力を生むという負の連鎖を生じさせるだけです。
家庭内での彼らの暴力がエスカレートするならば、警察の介入も辞さない態度で臨むべきです。
そしてできれば信頼できる第三者の援助を求めることが望まれます。
ただし、暴力の根底にある彼らの辛い気持ちは汲んであげるべきです。
暴力は明確に否定されなければなりませんが、その背後にある気持ちに共感しなければ、根本的な解決には至らないのです。
一定の態度で接する
その場その場で態度を変えてはいけません。
あるときは叱咤激励し、あるときは本人の意見を取り入れるというように態度をコロコロ変えることは控えるべきです。
さらに家族や周囲の意見が一致しないことも彼らの混乱を招くことになるので、意見をあらかじめ統一すべきです。
そして基本的な態度としては「ひきこもり」を認めてあげることが重要です。いま起こっている事態をいったん、受け入れなければなりません。
「ひきこもり」は多くが長期化を余儀なくされます。家族や周囲はそれに耐えていかなければなりません。
治療を開始するまでにも数年を要することもまれではありません。
しかし、いま、彼らにとって「ひきこもり」が必要なのだと考えるべきです。
そのように周囲の意見が一致することで、彼らの未来が少しずつ開けるのだと考えてください。
「ひきこもり」は彼らにとっての雌伏の時期であるという共通認識がなによりも求められるのです。
カテゴリー:子供の心の病気
何か特定のものに執着する
発達障害児などでは、少しでも決め事が乱されると、泣き叫んだり、暴れ回ったりと、いわゆる「パニック」の状態になることがあります。
「いつもどおり」にこだわるのは、安心感を得るためのひとつの方法と考えられます。スケジュールの変化を安心して受け入れられるように、治療教育をしていくことを考えましよう。
いつも同じことをしている
電車遊びしかしない、お気に入りのビデオを何度も繰り返しみたがるといったことは、低年齢の子どもにはよくみられます。
ただし、発達障害の症状のひとつとして、遊びのレパートリーの狭さが現れることもあります。
積み木を積まずに一列に並べるだけ。発達障害児に比較的多くみられる遊び方
常に手放せないものがある
タオルやぬいぐるみなど、対象はさまざまですが、幼児の場合、比較的よくあることです。就学の頃までには、たいていの場合、持ち歩かなくてすむようになります。
発達障害児の場合、触感へのこだわりから「手放せない」状態になっていることもあります。特定のもなどに強くの執るだれにでもこだわりはあるものです。
しかし、その強さが「普通ではない」と感じるときには、心のトラブルがこだわりのもとにある可能性があります。
同じ動作を繰り返す
ある動作、行動を繰り返さずにはいられない状態を強迫行為といいます。
「バカバカしいからやめたい」と思っていたり、強迫行為が生活の妨げになっていたりするようなら、治療の対象になります。
手のひらにバイキンがついているという考えにとりつかれ(強迫観念)、1日に何度も、長時間かけて手を洗わずにはいられない(強迫行為)といったことが、しばしば起こるようなら、注意が必要かもしれません
同じことばかり考えてしまう
一定の考え、イメージなどが繰り返し思い起こされることもこだわりのひとつ。強迫観念といわれるものです。
不合理な考えが浮かぶという点では妄想と似ていますが、自分でも「不合理だ」と自覚している点が異なります。
子どもにとって、生きることは初めての経験ばかりです。
「何が起こるかわからない」 という状態のなかで、心の安定をはかるために、なじみのあるものや気に入った行動にこだわっているのかもしれません。
世界とかかわる大切な手がかりとして存在するかぎり、大人からみれば「どうして?」と思うようなこだわりであっても、無下に否定しないほうがよいでしょう。
とはいえ、こだわりの対象がなくなると、いわゆる「パニック」に陥ったり、思考のこだわりのために子ども自身や家族の生活に支障が現れたりするほどならば、看過しにくい状態です。
こだわりを引き起こしている心のトラブルが何か診断を受けたうえで、生活上支障のない対象に変更していく方法を考えましょう。
以下のような状態が長く続いた場合は専門医などに相談したほうがよいでしょう
●ことばの発達の遅れもある
●こだわりの対象を取り上げると「パニック」状態になる
●同じ動作を飽くことなく繰り返している
●対人関係がうまく築けない
●日常生活に支障が現れたり、本人が苦痛に感じている
カテゴリー:子供の心の病気
「子供のうつ」は見逃されやすい
「子どものうつ」はなぜ見逃されやすいのでしょうか。それは第一に、「子どもに大人と同じうつ病が存在するはずがない」という先入観があることです。
大人の悲哀・絶望感に満ちた重症うつ病と、悲しいことがあっても次の目にはケロッとしている子どもの姿がなかなか結びつかないのです。
大人になって振り返ると、子ども時代はうつ病とは無縁の楽しい幸せな時代として思い起こされるのです。
大人は、自分の子どものころをすっかり忘れてしまうのでしょう。
第二に、「子どものうつ」は一見するとうつ病に見えないことです。
うつ病と言えば、見るからに元気がなく、いかにも憂うつな表情で、口数も少なく、うなだれていると思われがちですが、それはかなり重症の場合のみのことです。
子とものうつ」のほとんどを占める軽症うつ病においては、むしろ穏やかに、ごく普通の表情で、ときには笑顔を交えながらきちんと話をすることができる子どもが少なくありません。
そのため、家族や教師、あるいは子どもを目の前にした医師までも、本人がそれほど苦しんでいるとは気がつかないことがあります。
第三に、「子どものうつ」は身体症状や行動の問題が出現しやすいことです。
本人の訴えや周囲の注意が、身体症状(身体のだるさ、食欲不振、不眠、頭痛、腹痛など)や行動の問題(不登校など)に向いてしまい、うつ症状が隠されてしまったり、見えにくくなっていることが少なくありません。
また、身体症状ばかりを執拗に訴える場合など、やや大げさで誇張的に見えてしまうことがあります。
そのような場合、演技ではないかと誤解されたりすることさえあります。
しかし、うつの子どもたちの身体症状は決して演技ではなく、本当に痛く、だるく、つらく、苦しいのです。そして、それをひとりで我慢していることが少なくありません。
第四に、うつの子どもは、抑うつ気分を訴えることが少ないことです。
うつの子どもは、憂うつさや悲しみよりも、好きなことも楽しめず、何事も億劫で、集中力がなく、気力が出ないという状態が主症状であることが多いのです。
抑うつ気分は、うまく言葉で表現できないことが少なくありません。このことは、気分の落ち込みや悲しみを積極的には表現せず、我慢して相手に気取られないように振る舞うことをよしとするわが国の文化的背景とも無関係ではないと思われます。
カテゴリー:子供の心の病気
子供が不登校になった場合
思春期の子どもの心不登校の原因をひとつに集約することはできません。「特定の原因」などは存在しないのです。
不登校のタイプは、不登校の数だけ存在します。親は子どもが不登校になって、学校へいき渋るようになってもあせってはいけません。また、それをけっして恥じてはいけません。
自分の子どもを信頼すべきです。
さらに、早期になんらかの対策を講じる必要もあります。
子どもは「それでいったいなにが変わるんだ」というかもしれません。
たしかになにも変わらない部分も存在します。
しかし、不登校の原因がはっきりしないのと同じように、子どもの状態が改善するきっかけもよくわからないことが多いものです。
不登校の子どもは、いずれなんらかの形で社会参加を果たしていきます。私たちにできることは彼らに進むべき指針ではなく、選択肢を示すことだと思います。
不登校の子どもの将来がそれほど悲観すべきことではないことがわかっています。
20歳になるまでに正社員として就労している人、専門学校へいっている人、大学生になった人、アルバイトをしながら将来を模索している人など、それは人によって違いますが、私が会った多くの不登校の子どもたちはなんらかの形で自分の道を歩んでいます。
学校へいく、いかないで騒ぎたてるよりも、いまを受け入れ、これからの人生を共に考えていくことのほうがはるかに意義深い有効な手段となり得るのです。
まだまだ多くの親たちは学校へいくことが当たり前と考える世代です。
そのような私を含めた世代にとって、学校へいかないことは、なにかとてつもない挫折をしたような感覚にとらわれてしまいます。
親の世代が子どものころに身に沌み込んだ「学校へいくのは当たり前」という感覚は、容易に変わるものではありません。
しかし、たとえば私が子どものころに携帯電話がこれほど普及し、インターネットが一般的になるなど夢にも思っていませんでした。
世界は劇的に変貌していくものなのです。
それと同じとはいわないまでも、やはり子どもを取り巻く価値観や社会の相対的なあり方は相当に変化しています。
不登校が珍しかった時代から、クラスにひとりは不登校の子がいる時代になったのです。
親はけっしてあせる必要はありません。
「うちの子どもは、少し学校というものが苦手なのだ」と考えればよいのです。
運動が苦手、勉強が苦手という子どもがいるのと同じように、不登校の子は学校へいくのが苦手なのです。
子どものときに運動や勉強が苦手でも、大人になればそれなりに社会人として立派にやっているように、学校へいくのが苦手な子どもたちも、大人になればちゃんと社会に適応していくのです。
むずかしく考えることはなく、いま自分の子どもになにが必要なのかを吟味してあげてください。
あせることなく、急かすことなく、責めることなく接してください。
子どものエネルギーは、私たち大人が考えるよりはるかに大きく、柔軟でしなやかなものです。責めるより子どもの可能性を信じることからはじめましよう。
たとえ学校へいかなくても、私はかまわないと思っています。たしかに勉強は遅れます。
親も子どもが家にいることで将来に不安やあせりを感じるでしょう。
けれども学校にいけないものはいけないし、無理強いしても、なにもいいことはありません。
子どもは親が考えているよりも大きなエネルギーを持っています。
不登校が長引けば、将来はどうなってしまうのでしょうか。先ほど述べたように不登校の子の将来は悲観的なものではありません。
不登校を経験した人が中学卒業から20歳でに、なんらかの就労、あるいは就学という形で社会参加しているケースは実に80%にも上ります。
親は不登校が長引いていたとしてもそれほど深刻になる必要はないのです。
繰り返しになりますが、子どもを信頼することが親の態度として必要なのです。
カテゴリー:子供の心の病気
落ち着きがない
子どもに落ち着きがないのは普通のことです。
しかし、同じ年代の子にくらべ、あまりにも極端な場合には、接し方を考え直す必要があります。
ひどく活発に動き回る「多動」の子や、思い立ったら後先考えずに行動してしまう「衝動性」が強い子は、学校など集団生活の場で問題を起こしがちです。
こうした問題行動は、「親のしっけが悪いから」という目でみられがちです。たしかに 「社会のルール」を身につけさせることは重要です。
しかし、通常のしっけのレベルでは十分ではなく、服薬などを含めた対応が必要な子どもたちもいます。
多動や衝動性を引き起こしている原因がなんであれ、適切な対応を続けていけば、問題行動は減らしていけます。
接し方を見直す
好ましくない行動への注意は、簡潔に、わかりやすく。好ましい行動をとったら、タイミングよく、思いきりはめる。この2つを原則に接するようにしましょう。
叱責の繰り返しはダメ!
指示がよく理解できていないのか、理解はできているが実行しにくいのか、子どもの状態を知ることが必要です。
そうした検討もないまま、「反抗的だ」「何度言ってもわからない」などと感情的な叱責を繰り返しても、改善には結びつきません。
子ども自身の自己評価を下げ、問題をこじらせるだけです。
多動は年齢が上がるにつれ目立たなくなっていくが、対応を誤ると衝動性は増してしまう傾向がある。いわゆる「キレやすい状態」になり、友だちとうまくつきあえなくなることがある。
二次的な心のトラブルが生じる心配もあります。
カテゴリー:子供の心の病気
人格障害
リストカットなどを行った場合にもっとも危慎されるのは人格障害があるかどうか、その中でも「境界性人格障害」があるかどうかということです。
人格障害を厳密に定義することは困難なのですが、ひと言でいえば「ふつうに生きられない人」といえると思います。
では、ふつうに生きるとはどういうことかと問われると、それ自体明確に定義することが困難ですから、「ふつうに生きられない」という定義自体あいまいであるという誘りはまぬがれないかもしれません。
けれども人格障害そのものの存立自体が、一般の人との境界が不鮮明なものなのです。
それを考えれば、この定義も自ずと不明確なものにならざるを得ず、その意味では 「ふつうに生きられない」という定義はそれなりに当を得たものと私は考えています。
境界性人格障害については、この後で詳しく述べますが、ひと言でいえば感情の起伏が激しく、対人関係がきわめて不安定で、見捨てられることに強い不安を持っているといった特徴があります。
自己破壊的な衝動によって、万引きをしたり薬物を乱用したり性的逸脱をしたり、またリストカットなどの自傷行為を含めて、自殺のそぶりなどをみせます。
思春期ごろからはじまり、どちらかというと女性に多くみられる病気で、周囲は彼らの予測できない衝動的な行動や言動に翻弄されます。
人格障害は治療が困難で、中年期まで病理が存続することが多いのですが、本人が「ふつうに生きられない」ことを自覚し、なんとかしようと考えるならば、治療する価値はあります。
その場合は受診をすすめればよいし、家族や周囲の人は、彼または彼女に翻弄されることのないように専門家に相談することが大切です。
カテゴリー:子供の心の病気
子供のうつを招く要因
うつ病はどうして起こるのでしょうか。その原因は未だに完全には解明されていません。
現在までのところ、うつ病は、生物学的要因、心理的要因、社会文化的要因などのさまざまな要因が複雑に関連して生ずる疾患であると考えられています。
生物学的要因としては、まず何らかの体質的素因が存在します。
うつ病はいわゆる遺伝疾患ではありませんが、多少なりやすい体質があると考えられています。
高血圧や糖尿病などの身体疾患と同じような疾患に属すると考えられます。
脳には約一五〇億の神経細胞が存在し、神経伝達物質(セロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンなど)を介して脳内の情報が伝達されるのですが、うつ病は、ストレスによって一時的に神経伝達物質がアンバランスを起こした状態と考えられています。
うつ病の特効薬である抗うつ薬は、このような神経伝達物質のアンバランスを改善する働きを持つのです。
心理的要因としては、うつ病になりやすい性格傾向があります。
これは執着性格やメランコリー型性格と言われ、凡帳面、真面目、熱心、勤勉、良心的、責任感が強い、人に気をつかう、秩序を重んじる、人と争わない、頼まれると断れない、完璧主義などの特徴を持ちます。
また、うつ病の発症には何らかのきっかけが存在する場合が少なくありません。
男性の場合は、昇進、転勤、進学、過労、荷下ろし状況(多忙な状況が一段落するとき)、経済的困窮などが多く、女性の場合は、妊娠、出産、月経、転居、家庭内葛藤、家族の別居、病気などが多いと言われています。
いずれも、それまで慣れ親しんできた生活様式の比較的急激な変化が存在するのです。
先の執着性格やメランコリー型性格の人がそのような状況に置かれると、仕事にも勉学にも一生懸命に取り組んで適当に休むことをしないので、知らぬ間にオーバーワークとなって心身にストレスをため込んでしまうのではないかと考えられています。
社会文化的要因としては、社会・文化の急速な発展があります。
先進国においてうつ病は急増しており、うつ病は代表的な現代病のひとつと言えます。
都市化・近代化が進み、さまざまな分野で種々のストレスが増大しています。
また、情報化・国際化が進むことによってコミュニケーションの方法が発展する一方で、複雑な対人関係のストレスもまた増加しているのです。
すなわち、うつ病の人は何らかの体質的素因を持っていると考えられます。
さらに、執着性格やメランコリー型性格の人に、環境の変化、精神的苦痛、心理的葛藤などが加わったり、身体疾患、身体的過労、妊娠、出産、思春期、更年期、老年期の身体的変化が加わった場合に、普段は代償されていた体質的脆弱性が進行、固定してうつ病の精神症状や身体症状が出現すると考えられています。
カテゴリー:子供の心の病気
子供の不眠・過眠
子どもが不眠や過眠などの睡眠障害を訴えるとき、そこにはなんらかの原因があります。
原因を知ることで、改善策もみえてきます。
長引くようなら治療を考える
ぐっすり眠れない、すっきり起きられないといった症状は、睡眠の質や量、時間帯などに問題が生じているために起こると考えられます。
一時的なことなら問題はありませんが、生活に悪影響が現れるほど長引くようなら、睡眠障害として治療を考える必要があります。
睡眠障害が起きる原因はさまざまです。心の病気の症状として睡眠障害が現れることもありますが、子どもにもっとも多くみられるのは、生活リズムの乱れが睡眠と覚せい醒のリズムの乱れを引き起こしている状態です。原因に応じた対策をとることが、改善のポイントです。
生活リズムの乱れ
夜、いつまでも起きている。だから朝、起きられない−睡眠と覚醒のリズムが乱れた状態も睡眠障害のひとつです。不登校が続いている子どもなどは、睡眠のリズムが崩れてしまいがちです。
それが、さらに登校しにくい状態をつくってしまっていることもあります。
夜は早めに就寝させる、起床時間を守らせるといった基本的な心がけが、まず大事です。
不安
不安があると寝つきが悪くなりがちです。ちょっとしたきっかけで起きた不眠の経験が、「また、眠れないのではないか」という不安をよび、さらに不眠を強めてしまうこともあります。
苦痛が大きく、長引くようなら、不安・緊張を取り除く睡眠導入剤の使用が検討されます。
以下のような状態が長く続いた場合は専門医などに相談したほうがよいでしょう
●気分障害や統合失調症、摂食障害など、心の病気を疑わせる症状がほかにもある
●原因はわからないが、不眠や過眠などが続き、本人が苦痛を訴える
●リズムの乱れが家庭の努力では修正できない
●強い不安を訴える
●その他、睡眠障害以外に困っている症状がある
カテゴリー:子供の心の病気
摂食障害
隠れて食べたり、急にやせたり太ったりする
上の見出しのような現象が自分の子どもや周囲の人に出現したときに、まっ先に思い浮かべなければいけないことは、「摂食障害」の可能性があるということです。
摂食障害のタイプには3つあります。
拒食のみを繰り返すタイプは、かなり以前から知られた拒食症と呼ばれるタイプです。
1970年代に世界中で人気を博したアメリカの兄妹デュオ、「カーペンターズ」のカレン・カーペンターが拒食症で死亡したことを記憶している人もいるでしょう。
ただ最近は拒食だけのタイプは少なくなってきていて、過食と拒食を繰り返すタイプと過食だけを繰り返すタイプが増加しています。
3つのタイプに共通しているのは、自分は太ってしまうのではないかという観念に支配されていることです。
「やせ願望」とも呼ばれることもありますが、「太るのが怖い」という強迫的な観念だと私は考えています。
摂食障害は女性に多く、男性に少ないとされていますが、思春期の男性に出現することもあります。
きっかけはダイエットではじまることが多く、過激なダイエットのあとの飢餓状態から食べはじめると止まらなくなり過食になるパターンがよくみられます。
摂食障害の心的構造は、比較的理解しやすいことが多く、心にかかえきれないストレスを「飲み込めない」「吐き出す」「食べ続ける」という行為で解消しょうとする、「食行動」の代理行為と見なすことができます。
誰でもストレスをかかえて生活しているのですが、摂食障害の人はどういうわけかすべてのストレスが「食べ・吐き」という、食行動の異常として現れてしまうようになるのです。
加えて、過食のときに必ずといっていいほど罪悪感を伴います。
たくさん食べてしまったという後悔の念ともとらえられるのですが、このような状態に陥っている自分を責める「自責の感情」であると私には思えます。
この自分を責めてしまうという感情が、自分をさらに追いつめてしまうことにつながりやすく、気持ちをしずませて、うつ状態になることもあります。
摂食障害の対応の基本は、食べることへの話題を避けることが重要です。
食行動の異常はみていられないほどに過剰なので、周囲の人はついついそのことを注意したり、やめさせようとしがちです。
けれどもこれは彼らの罪悪感と結びつきやすく、さらなる悪循環を導き、袋小路に陥ってしまう結果となります。
食行動の異常は、彼らの精神状態が安定化するのに伴って少しずつ改善していきます。
食行動の異常、すなわち過食や拒食を指摘しすぎると、かえって症状を悪化させます。
自らが罪悪感を持っているのに、それをことさらに指摘され、やめるように説得されれば、自分はダメ人間だと思うかもしれないし、家族に知られないように盗み食いしたり、夜中に冷蔵庫を漁ったり、コンビニで大量にお菓子や菓子パンを買い込んで部屋に隠したりします。
ただでさえそのような行為に陥りがちで、症状を悪化させることが多いのに、家族や周囲の無理解による言葉がけで、事態は悪い方向へと至るのです。
たしかに周囲の人の「諭したい」という気持ちはわかります。
なぜこれほど食べなくなってしまうのか、こんなにガリガリにやせているのにどうして体重が増えてしまうとあれほど恐怖を感じるのか、食べたものを吐き出すのは苦しいはずなのになんでそこまでするのか、なかなか理解しがたいところがあります。
けれども大切なことは、摂食障害の人が現実に苦しんでいることをわかってあげなければいけないということです。
そして、食べることを話題の中心に据えてはいけないのです。
何度も繰り返しますが、自分自身の生活が安定し精神状態が穏やかになっていくときに、しだいに食行動の異常も改善していくのです。
ただし改善に至るまでの過程は平坦ではなく、良くなったり悪くなったりをいきつ戻りつします。そして、長い経過を要します。
10年以上かかることもまれではありません。
ある日気がついたら、食べることにそんなにこだわりがなくなったというように、ゆっくりと治っていくのです。
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うつの回復過程でのポイント
うつにかかる子どもは真面目で努力家が多いので、少し回復してくるとあせって頑張りすぎてしまう傾向があります。
周囲もようやく元気になってきたので、本人のやりたいままに任せてしまうことが少なくありません。
身体疾患でも病み上がりの無理は禁物であるように、うつもせっかくエネルギーが少し高まってきた時期に無理をすると、ぶり返してしまうことがあります。
具体的な対応としては、自分ができる力の六〇〜七〇パーセント程度にセーブすること、しなければならないことではなくて、楽しめることから少しずつ始めるとよいかもしれません。
登校を開始する場合も、半日登校を最低二週間は試してみて、徐々に学校にいる時間を増やしていく慎重さが必要です。
あせらないこと、頑張りすぎないことを繰り返し指摘していくことが大事です。
不安感やイライラ感、あるいは憂うつな気分は薬物療法で比較的改善しやすい症状ですが、うつの症状が改善しても、「億劫感」や「今ひとつ元気が出ない感じ」が残ることがあります。
食欲や睡眠も改善し、家でテレビを見たりすることは問題なくできるようになったけれど、学校へ行く元気は出てこない、日曜日も家族と外出する気にはなれないなど、軽いうつが続く場合です。
精神医学的には、気分変調性障害の状態が続いていると考えられます。抗うつ薬への反応が今ひとつで、症状が完全には取りきれない場合も同様な状態が続きます。
私の経験では、このような状態の子どもは一年間ほどで徐々に回復していくことが少なくありません。
他の人の経過よりも少し長いけれども、必ず出口はあると信じてください。
うつ病のどの時期においても自殺の危険性には注意しなければなりませんが、先に述べたように、とくに回復期には細心の注意が必要です。
たとえば、うつの状態が悪いときには自殺行動に及ぶ気力もなかった人が気力が回復して実行に移してしまう場合、元気は出てきても気ばかりあせって焦燥感がつのってしまう場合、少し元気になり無理して学校へ行ったけれど、その後ぐったり疲れて絶望してしまう場合などが考えられます。
周囲も、せっかく元気が出てきた人に自殺念膚を確認することは、気がひける、水を差すのではない失礼ではないかなどと考えてしまいますが、あえて確認していく必要があります。
まったくその気持ちがなければ、相手は気にしないものです。
うつ発症の契機となったできごとが明確な場合も、本人にはそれと認識されていない場合もあります。
いずれにしても過去のできごとを冷静に考えられる状態になったとき、発症のきっかけになったできごとやその背景について考え、それが子どもにとってどのような意味を持ったのかをともに検討していくことが必要なことがあります。
これは、決して子どもの心の深層に触れたり、分析したり、解釈したりすることではありません。
発症のころの生活を振り返り、「少し頑張りすぎていたかもしれない」「オーバーワークになっていたかも」などということに気づくことができて、「少しのんびり行こうかな」と思えるようになれば十分なのです。
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AD/HD(注意欠陥/多動性障害)
AD/HDは、脳になんらかの機能障害があるために、行動上の問題が引き起こされる病態です。近年、AD/HDの診断を受ける子どもたちが増えています。
担任教師が「学習面や行動面でいちじるしい困難がある」と感じている児童・生徒は6%あまりにのぼると報告されているそうです。
このほかには、AD/HDあるいはLDの子供が含まれていると考えられます。
LD(学習障害)
全般的な知的発達に遅れはなく、視覚や聴覚などの障害もないが、読む(読んで理解する)、書く、計算するといった能力を、年齢相応の教育によって習得できない状態
AD/HD(注意欠陥/多動性障害)
落ち着きのなさ、不注意、衝動的な行動の3つが主症状として現れ、それにより日常生活に不利益が生じている状態。集中力に欠けることから、二次的に学習面での問題が発生する場合がある
不注意
興味の薄いものに対して集中できない。話していたり勉強していたりしても、周囲のちょっとした動きや物音に反応し、気が散ってしまう。忘れ物やケアレスミスが多い
多動性
座っていなければならない状況で歩き回ったり、座っていてもいすのうえで手足を動かし続けたりしている。片時もじっとしておらず、おしゃべりが過ぎることも多い
衝動性
相手の質問の途中で話し始めたり、状況も考えずに出し抜けに行動したりする。順番を待つことが苦手で、会話やゲームに割り込んだりする。
教育現場では学習障害(LD)のほうが先に問題視され、「LDのなかに行動上の問題をかかえる子がいる」と理解されてきました。
実際LDとAD/HDは、合併する例が少なくありません。
AD/HDは、軽度の発達障害のひとつであり、問題行動が繰り返されるもとには、脳の機能不全があると考えられます。これを根本的に治す方法はわかっていません。
しかし、周囲の人が子どもの状態を正しく理解し、適切な対応を続けていくこと、必要に応じて医療面での治療をおこなうことによって、多くの場合、社会生活に適応できるようになります。
AD/HD(注意欠陥/多動性障害)の疑問
AD/HD(注意欠陥/多動性障害)は、しつけのせい?しつけの悪さだけでは生じません。
月削こなんらかの異常が起きているためと考えられていますが、どのような異常か、なぜそうした異常が起きるのかは、はっきりしていません。
うちでは、よい子なのに……
AD/HDの症状は、集団生活のなかで、より顕著になります。
好きなようにふるまえる状況なら、問題なく過ごせることもあります。
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子供の拒食・過食
拒食症や過食症は、小学生にもみられることがあります。食行動の異常に気づいた段階で早めに対応することが、悪化を防ぐ早道です。
思春期の前後は、自分の外見が非常に気になる年齢です。
ちょっとしたきっかけで、「もっとやせなくては」という思い込みを強くもつ子どもは少なくありません。
とくに、やせることでしか達成感を得られない、太った自分は見捨てられてしまう、などといった心の葛藤や不安をかかえている場合には、病的なほどやせてしまうことがあります。
また、思春期以降、統合失調症や気分障害の初期症状として食欲の低下が現れる場合もあります。家庭で「食べ方がおかしいぞ」と気づいた段階で、早めに対応を考える必要があります。
嘔吐を繰り返す
大量に食べたあと吐きだす行為を繰り返すのは、摂食障害の典型的なバターンのひとつです。すぐに対処が必要です。摂食障害に陥る子どもの多くは、「甘えたいのに我慢してきた」という気持ちをもっています。もう一度、親に甘え直すことは、不安定な気持ちを落ち着かせる大切なステップになります。
急にやせてきた
急にやせ、標準体重のマイナス15%以下の体重で推移する場合は要注意。
女子の場合、月経が止まるような状態なら、摂食障害としての治療が必要です。
極端なやせすぎは、心身に深刻な影響を及ぼします。
初期の段階なら、やせすぎに関する正しい知識を伝えるだけでも、改善に向かうことがあります。
急に食事の量が減った
体調の悪さや気分の落ち込みなどから、一時的に食欲を失うのはめずらしいことではありません。しかし、長引く場合には注意が必要です。
過激なダイエットを始めた
食事の量を極端に減らし始めたとき、無理に食べさせようとするのは逆効果です。
「太らせたいわけではない」と伝えたうえで、栄養バランスの悪さを改善する方法をとるようにします。
休養をとらせる
本人は元気と思っていても体は消耗しています。食行動が正常な状態に戻るまでは、塾通いやクラブ活動はできるだけ控え、十分な休養をとらせたほうがよいでしょう。
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ひきこもり・ニートの対応
「社会的ひきこもり」あるいは「ニート」という言葉をよく耳にします。このふたつはいずれも状態像であって病名ではありません。
けれどもこの状態が長引けば、しだいに社会へ出る選択の幅が狭くなったり、ひきこもりの状態が長期化し、孤立した生活を送ることになってしまいます。
「社会的ひきこもり」や「ニート」には、それを引き起こしている原因となる精神疾患があります。
そうした疾患が見過ごされていることによって、彼らが社会から撤退を余儀なくされていることが少なからず存在します。その代表的なものが「社会不安障害」です。
以下の4つの項目を本人が感じていれば社会不安障害の可能性が高くなります。
・人前で話をする、食事をする、字を書くといったとき、人から注目されていると思うと怖くなったり、とまどったりする。
・自分でも怖がりすぎていると思う。
・それは、わざと避けたり、じっとがまんしなければならないほどである。
・それによって、仕事や社会生活が妨げられたり、苦痛を感じたりする。
以上のような基準を満たし、それによって「社会的ひきこもり」や「ニート」の状態に陥っているなら、治療によって、そこから脱出できると考えられます。
次に精神疾患の可能性として高いものに「回避性人格障害」があります。
この状態は簡単にいえば、なにか自らにプレッシャーがかかる場面になるとそれを回避してしまう人のことをいいます。
この場合は長期的なカウンセリングが必要であり、社会不安障害に比べるとスムーズに社会参加というわけにはいきません。
回遊性人格障害は病気というより性格の極端な表出であり、その人の生き方にも通ずるものがあり、より治療がむずかしいのです。
このふたつのほかに、ときには統合失調症、うつ病によって社会から撤退している場合もあり、この場合も精神科的治療が必要なのはいうまでもありません。
またときには「境界性人格障害」 のように対人関係がいつもトラブルに遭遇しているために、自らの世界にひきこもっていることもあります。
これ以外の人格障害も同じですが、長期的なカウンセリングが必要です。
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「子供のうつ」治療に、精神療法が適している
医者と患者が共に向き合う精神療法
精神療法やカウンセリングと言うと、幼少期の両親との葛藤やトラウマをあばきだし、それを治療者が鮮やかに解釈したり、催眠術のように一瞬のうちに症状を消し去ったりするというイメージを抱いている方がいると思います。
そのような治療は特別な施設で適応を厳しく限定したうえで行われることはありますが、少なくともうつに関する限り、無意識に不用意に触れたり、内省を迫ったり、心の傷をあばきだしたりするような方法はとても危険で、むしろしてほいけないことだと考えた方がよいでしょう。
「子どものうつ」の精神療法に特別な方法はありません。「子どものうつ」の精神療法は、ごく常識的なアプローチが最も適しています。
それは、心身ともに疲れ果てている子どもに休息をすすめ、干渉的にならないように傍らに寄り添い、症状を確認しながら、つらかったこれまでの状況を理解し、元気が出てきたら、あせらずに少しずつ、これからできることをともに考えていくということにつきると思います。
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恥ずかしがり屋と社会的不安障害
学校へはいっているけれど、なにか人前で発表しなければいけないときに怖がるとか、あまり知らない人に挨拶をするのが極端に苦手とか、授業中に声書くときに手が震えるとか、人前で話すときに顔が真っ赤になる、汗を大量にかく、頭が真っ白になる、声が震える、口がカラカラになる、お腹が痛くなる、尿が近くなる、、というような症状を訴える、また、そのようなことが起こるから、学校へいきたくないといい出す、あるいは休んでしまうということがあれば、それは性格のせいではなく、「社会不安障害」という心の病気かもしれません。
社会不安障害は最近メディアに取り上げられるようになり、注目を浴びていますが、実は非常にたくさんの人がかかっている病気で、精神障害の中ではうつ病に次いで多い病気なのです。
日本人が一生のうち社会不安障害にかかる率は、2〜3%とされています。
また大人に多い病気と思われがちですが、実は発症のピークは15歳ころで、かなり若い時期に発症します。
さらに社会不安障害は、ただ単に性格が弱いとか、慣れれば克服できるとかいう誤った精神論に流れがちで、それが心の病気であるという認識がされない傾向があります。
つまり、社会不安障害の人は病気そのものに苦しむだけでなく、周囲からの無理解にも苦しむという二重の苦しみに悩まされます。
とくに思春期の人では、大人よりも若いので心が未熟で、鍛錬が必要であるというような、まったくの無理解にさらされることがほとんどだと思います。
精神力が足りないと親や教師に叱責され、友人には度胸がない人間というレッテルを貼られてしまうかもしれません。
これはほんとうに不幸なことです。
社会不安障害はれっきとした心の病気であり、治療すべき対象なのです。
「恥ずかしがりや」は病気なのです。
彼らは自分ではどうしようもないのです。
極端な例を挙げれば、骨折やがんが治療せずに気力で治るでしょうか。
まったく同じではないにせよ、病気であるならば治療すべきなのです。
社会不安障害の診断はそれほどむずかしくありません。
人前で過度に緊張するという症状があって、それを自分で理解しているけれども、どうしようもない、わかっているけれどいかんともしがたく、そのために日常生活や社会(学校)生活に支障を来していれば、社会不安障害という診断が可能です。
本人がわけもわからず苦しんでいるときに、「しっかりしろ」といった叱咤激励は禁物です。精神力などで治るものではありません。
それは脳内物質の作用によって出現する心の病気なのです。
苦しんでいる人に、傷口に塩を塗るようなことは慎まなければなりません。
心の病気であることを共に理解して、治療すべき病気であるという認識を深めることが必要なのです。
治療に関してはここでは詳しく述べませんが、薬物療法と認知行動療法(心理療法)があります。
重要なことは、いわゆるカウンセリングはあまり有効ではないということです。これは親や周囲の人たちがよく誤解していることでもあります。
カウンセリングがすべての人あるいはすべての精神疾患に有効ということはありません。カウンセリングは万能ではなく、逆に悪化させることもあります。
心理療法で効果的とされているのは、いくつかあります。例を列挙します。
「エクスブロージャー(曝露法)」は恐怖や不安を感じる状況に、不安症状が治まるまで居続ける方法です。
慣れて克服していく方法であることから、「脱感作法」あるいは「減感作法」とも呼ばれます。
「ソーシャルスキルトレーニング」は、社交的な場面を想定し、人との接し方を訓練する方法です。集団でこれを行う治療法もあります。
「不安対処訓練」は、不安が起こった場合の対処法を学ぶ方法です。
「認知修正法」は、人と接する場面において、必要以上にダメだとか、人に不快感を与えているなどといった誤った考え方を修正する方法です。
「森田療法」は、恐怖や不安を取り除こうとせず、ありのまま受け止め、考え方を変えていくという方法です。
けれども私個人の意見としては、心理療法よりも薬物療法のほうが効果的であると考えています。
ある社会不安障害の人は、集団での心理療法過程でより緊張感が高じて、悪化傾向を示したこともありました。
もちろんフルボキサミンもすべての社会不安障害の人に有効ではないし、効果が出るまでに1か月程度を要します。
また、初期には吐き気などの副作用がしばしば出現します。
けれどもフルボキサミンが効くときは、ほんとうに劇的に症状が改善するし、生活が見違えるほど楽になることもあるのです。
どうしても薬が体に合わない人も少なからず存在していますが、それ以外の場合は薬をすすめています。
それまでの苦しさが「ウソみたい」に楽になったという人も相当数いるのです。
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学校に行けない(不登校)
朝になると体調不良を訴えて登校しない……。不登校の多くは、そんな「登校渋り」の日々から始まります。
不登校自体は病気ではありません。
しかし、心理的な要因が不登校の出現や経過に大きく関係しているという点では、心のトラブルのひとつの現れといえます。
なんとか学校に行ってほしいと親が願うのは当然ですが、その気持ちを押しつけるだけでは、事態はなかなか改善しません。
まずは、子どもがどんな気持ちでいるのか、子どもの視点から考えてみることが大事です。
その際に注意したいのは、原因探しに終始しないこと。「これがきっかけ(原因)だった」と納得したところで、その原因を取り除けるとはかぎりませんし、取り除きさえすれば問題が解決するわけではないからです。
学校以外の選択肢も
フリースクール(法律では学校と認められていない学習の場)などをステップに、外の世界に踏みだせることもあります。
多少、回り道をしても、子どもが自分の人生に納得し、選択できる力を伸ばしていけるように、支えていくことを心がけましょう。
欠席が続く時期
「いやがるから」と学校の話題をさけつつも、「いつ学校に行きだすのか」と息を潜めて見守っているような関係では、子どものプレッシャーは増してしまいます。
学校の先生と連絡を取りあうだけでなく、児童相談所などの支援機関の利用を考えてみましょう。
学校行事や、終業式などは、再登校開始のきっかけになりやすい
不登校児の再登校率は4人中3人という報告があります。
すぐに通常学級で時間割どおりのスケジュールをこなすのがおずかしそうなら、保健室で過ごす時間を多くするなど、担任の先生や養護の先生などと相談しながら、無理なく登校を続けられる方法を考えます。
以下のような状態が長く続いた場合は専門医などに相談したほうがよいでしょう
●自宅からまったく外に出られなくなってしまった
●妄想があるようだ
●家族に乱暴を繰り返す
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自分を傷つけないと約束してもらう
うつはどんなに重症でも、その病気自体のために命を落とすことはありません。
命に関わる事態は「自殺」しかありません。したがって、自殺を何とか食い止めることは最も重要な課題です。
普段はそんなことを決して考えない人が、風邪で熱が出るように、ふと知らぬ間に、「このまま目覚めなければどんなに楽だろう」「ふっと消えてしまいたい」などと考えてしまうのです。
とくに回復期や焦燥感・不安感が強い場合には細心の注意が必要です。
ですから自殺をしないように約束をすることはとても重要なことなのです。
うつの人は真面目な方が多いので、この約束を後々まで覚えていてくれて、つらくても守ってくれます。
落ち込んでいる人に自殺の話などしてはいけないのではないかと思われるかもしれませんが、そう言われてはじめて自分に自殺念膚があることに気づく場合もあります。
あるいはこの約束に対する反応によって、自殺の危険の緊急度が明らかになる場合もあるのです。
カテゴリー:子供の心の病気
すぐにキレる、トラブルが絶えない
予どもが感情を抑えきれず攻撃的な行動に出てしまうことは、めずらしことではありません。
しかし、その頻度や程度が激しい場合には、子供が何らかの強いストレスを感じているのではないか、その原因は何か、考えている必要があります。
子どもは自分の気持ちをことばでうまく表現できないとき、行動や身体症状として示すことがしばしばあります。
それが攻撃性の高い問題行動として表現される場合、もって生まれた気質が関係しているといわれています。
幼い頃から、かんしゃくを起こしたり、暴れたりしがちな子は、親にとってはたいへん育てにくく、対応に苦慮することも多いでしょう。
しかし、どんな子どもでも感情の適切な表し方を学ぶ力をもっています。
その力を伸ばすためには、問題行動が起きたときの対応だけでなく、日頃のかかわり方を見直してみることも必要です。
子どもの攻撃性の高いふるまいに対しては、親自身、カッとなりがちです。しかし、感情をむきだしにして叱ったり、力で抑えようとしたりするのは、要求の通し方の悪いお手本にしかなりません。
我慢の仕方、周囲との折り合いのつけ方を学ばせるには、子供への我慢強い対応をみせることがなによりも効果的です。
さけたい接し方
●感情的に接し、「見捨てられるのではないか」という不安をあおるような叱り方をする
●よいところがあっても、親の期待どおりでなければ無視する
●ふるまいの一つ一つに干渉する
心がけたい接し方
●ルールを教えることは必要。受け入れがたい要求は認めない
●感情的に叱ってしまったときは、「感情的になった」という点については、あとで素直に謝る。ただし、内容については譲らない
●よいところに注目し、はめながら伸ばす
●「憎らしいから叱るわけではない」ということがわかるように、日頃から「愛情をもっている」ことを伝える
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病気と障害
一般に、障害とは、先天的、あるいは後天的な病気によって、生活上の困難、不利益などが生じている状態ということができます。
心の病気の多くは、「○○障害」という診断名がついています。
心の問題は、「ここに、このような異常がある(=正常ではない、病気である)」と断定できないことが多いため、「どのような不利益が生じているのか」に注目しているのです。
障害というと「治らないもの」というイメージがあるかもしれませんが、診断名としての障害は、治療により回復することも多いのです。
発達障害
子どもは、さまざまな発達段階を迎え、いろいろなことを獲得しながら成長していきます。なんらかの原因で、年齢相応の発達がとげられず、
心身の機能不全が一生持続する状態が発達障害です。日常生活に制限があり、治療やケアを受ける必要があります。
発達期に心身の機能不全が明らかになりますが、対応によっては援助が不必要になることもあります。知的障害はほとんどないか、あっても軽い状態です。
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人見知りが激しい、過度の心配性
親と離れることに不安を感じるのは、小さな子なら当たり前。
うんざりすることもあるかもしれませんが、無理に突きはなそうとするのは逆効果です。
いっしょにいられる時間はたっぷり甘えさせたほうが、親離れしやすくなります。
幼稚園・保育園や学校にも行けないような状態なら、病院などで相談を
何事に対しても不安がる
もともと「神経質」といわれる子どもは、ささいなことに対しても心配しがちです。「心配していたけどうまくいった」という経験を重ねるうちに、その傾向はやわらぎます。
ただし、極度の不安によって日常生活をも脅かされるほどなら、治療の対象になることもあります。子供の不安を取り除くもっとも海蛍な方法は、しっかりと受け止めてあげることです。
だっこしてほしそうなそぶりがあれば、拒まずに抱きしめてあげてください。
ことばよりもなにも「不安な思いも含めて、あなたのことを受け止めるよ」という気持ちを伝える最良の手段です。
子どもは不安をかかえていても、それをストレートに表現できないことが少なくありません。大人にとっては好ましくないと思われる行動を繰り返すこともあります。
現れ方はどうであれ、心のトラブルのかげには不安がつきものです。その不安を解消することで、落ち着いて過ごせる時間が戻ってきます。
子どもの不安を受け止められる相手になること、安心できる居場所をつくること。それが、まわりの大人が果たすべき最大の役割なのです。
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病気であり、怠けているわけではないことを伝える
「病気と言えるのか、単なる怠けなのか」悩んでいることが少なくありません。家族もまた同じように悩んでいます。
本人がそのように考えてしまうのは、多くの場合うつ病特有の自責感に由来しています。
「自分は頑張っても学校へ行けず、みんなに申し訳ない」と自分を責めているわけです。
このような子どもたちに対して「怠けだ」「気のゆるみだ」と叱ることが、いかに残酷なことか理解していただけると思います。
だからこそ、「うつという身体の病気なのだから、十分休養をとって治療しよう」と伝えます。
ときには「骨折や盲腸と同じ身体の病気なのだから、自分を責める必要はまったくない」と説明します。うつと怠けは一見似ているが、実は正反対のものであると告げます。
他の病気と同様に、うつも早期発見・早期治療が最善の策であることは言うまでもありません。
いかにすばらしい治療法があったとしても、十分な休養なしにはどんな治療も成り立たないのです。うつとは、心身が疲れ果てた状態なのですから。
うつ病に関して言えば、これまで休みすぎるということはありません。
失敗はいつも、あせって十分な休養がとれなかったり、軽いからと甘く見て無理をしてしまった場合ばかりなのです。
また、家族や周囲の人たちは、「頑張れ」と励ましたり、叱咤激励をすることは控えてください。
子どもは「みんながこんなに自分のことを思ってくれているのに、期待に添えないで、自分はなんてだめな人間だろう」と考えて、逆に追いつめられてしまうのです。
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子供の言葉の発達の遅れ
子供の心の発達のサインとして、大きな指標になるのが言葉です。言葉の遅れがきっかけで、発達障害に気づくことがあります。
おしゃべりはできなくても、ことば以外の方法でコミュニケーションをとろうとしているようなら、あまり心配することはありません。できるだけ声かけをしながら、様子をみていればよいでしょう。
たくさんの単語は知っていても、相手のことばをそのまま繰り返す、過度にていねいで正確な言い回しをするなど、独特の話し方がいつまでも続くときは、注意して様子をみていきましょう。
発達障害があっても、ことばに遅れがみられない子もいるからです。
オウム返しの返答が続くのは、発達障害児によくみられる話し方
言葉の発達の遅れの原因になっているかもしれない病気・症状
聴力障害
広汎性生発達障害(自閉症)
精神遅滞
スムーズに話せない、発音がおかしい
出だしの音を繰り返したり、長く伸ばしたりする吃音や、不正確な発音(「し」を「ち」と言ってしまうなど)は、子どもにはよくみられます。
大半は成長とともに改善されていきますので、あせらずに見守りましょう。
家族以外の人とまったく口を聞かない
話す能力はあるのに、学校などでまったく口をきかない状態が続くことを「場面繊黙」といいます。たんなる無口と放っておくのではなく、コミュニケーションをとれるように、働きかけていくほうがよいでしょう。
言葉は心の発達を示す目印
ことばはコミュニケーションをとるための便利な道具です。その道具を使いこなせるようになるかどうかは、心の発達を示す目印のひとつになります。
とはいえ、ことばの発達には個人差があります。
うまく話せるようになるまでには、時間がかかる子もいます。「話せる・話せない」ということだけでなく、子どもの様子全体をよくみましょう。
そうすれば、ことばの習得が遅れているだけなのか、背後に発達障害が隠れているのかの判断はつくことが多いからです。
以下のような状態が長く続いた場合は専門医などに相談したほうがよいでしょう
●視線を合わせようとしない
●母親にもなつかない
●音や環境の変化に対して、極端に過敏な反応をする
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家庭訪問はどうすべきか
不登校が長引いている生徒の家庭訪問をどうすべきかという問題は、緩やかなコンタクトを継続するということがいちばんだと思います。
訪問したときに無理矢理、生徒に会おうとすべきではないでしょう。
教師は、少なからず学校という組織を体現化しているのですから、無理強いは生徒の恐怖感をあおり、萎縮させるだけで、不登校をさらに長期化させるだけでしょう。
しかし、その一方で、生徒はやはり学校のことを少なからず気にしているので、まったく訪問せずに親任せというのも教師の無責任にすぎないと思います。
したがって、家庭訪問はできれば過に1回、少なくとも2週間に1回程度はすべきでしょう。
その際、本人が教師に会うことをいやがったときは無理に会おうとしないこと、けれども、学校は本人のことを気にしていることを家族に伝えてください。
できればその訪問を、根気よく続けることが大切なのです。
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うつと間違いやすい子どもの状態
不登校
不登校とは、何らかの心理的な問題のために、学校へ行きたくても行けない、あるいは行かない状態を指し、決して病名ではありません。
したがって、うつ病と不登校は厳密に鑑別できる病態というよりも、併存しやすい状態であると考えた方がよいでしょう。
うつ病だから皆学校を休んでいるかと言うとそうではなく、半数以上の子どもたちは頑張って、無理して登校を続けています。
逆に、不登校が続いているからうつ病だというわけでも決してありません。
ただ、不登校と言われている子どもたちの中に、うつ病が見逃されている可能性は否定できません。
見分け方のポイントは、
第一に、学校へ行かなければならないというプレッシャーがない状態においてもうつ症状が存在するかどうかです。日曜日でも夏休みでも同様の状態が続くならば、うつ病を疑うべきだと考えられます。
第二に、最もリラックスできる状況で自分の好きなことを本当に楽しめるかどうかです。不登校に陥って昼夜運転した子どもが、深夜に好きなインターネットを楽しんでいるのであれば、それはうつ痛とは診断しにくいと思われます。
第三に、明らかな心因(たとえばいじめなど)があったとしても、うつ病の中核症状がそろっているのであれば、心因を契機にうつ病が発症したと考えるべきでしょう。
神経症
神経症とは、主に心因 (精神的原因) によって起こる精神・身体症状を持つ病気です。
具体的には、不安障害(パニック障害など)、強迫性障害(強迫観念、強迫行為)、摂食障害(拒食症、過食症)、社会恐怖(対人恐怖症など)、外傷後ストレス障害(PTSD)、適応障害などがあげられます。
かつて、神経症とうつ病は厳密に鑑別すべきものと考えられていましたが、最近では神経症に対しても抗うつ薬が有効であることが明らかになり(とくにパニック障害、強迫性障害、過食症、社会恐怖、PTSDなどに抗うつ薬のSSRIが有効であることが明らかになってきました)、神経症とうつ病は共通の背景を持つ可能性が考えられるようになりました。
また、両者はしばしば合併するため、鑑別するというよりも合併を見逃さないことが重要なポイントになってきているのが現状です。
統合失調症
小・中学生年代においても、統合失調症は稀に発症する病気です。
統合失調症の症状の特徴は、幻聴(聞こえるはずのない声が聞こえる)、被害妄想(誰かが自分の悪口を言っている)、注察妄想(誰かに見られている)、妄想気分(漠然とした不安緊迫感)、感情・音萩の障害(感情が乏しく、何事にも無関心となる)などであり、うつ病との鑑別は可能です。
ただし、初期にはうつ状態で発症し、次第に統合失調症の症状が顕在化していく場合もあるので、注意深い経過観察が必要です。
身体疾患
うつ病は、種々の身体疾患に合併して出現します。
内分泌疾患(クッシング症候群、甲状腺機能低下症など)や膠原病(全身性エリテマトーデス、シューグレン症候群など)のように身体疾患がうつ状態を引き起こしやすい疾患もあれば、ステロイド、降圧剤、インターフェロンなどのように、治療薬がその副作用としてうつ状態を引き起こす可能性がある場合もあります。
さらに慢性疾患のように、長期間身体疾患を患っていることがストレスになって、うつ状態が生ずる場合もあります。
このような場合、身体疾患の主治医と精神科医が密接に連絡を取り合って治療にあたる必要があります。
カテゴリー:子供の心の病気
不登校の初期症状と統合失調症は似ている
不登校の初期症状として頭痛、腹痛、吐き気などがしばしば認められます。
このような症状が出てきたときは、親は子どもが出すなにかのサインだと考えて、注意を払わなければなりません。
このような身体症状の出現は不登校の前ぶれであることが多いのです。
しかし、同じような身体症状を示していても、それが統合失調症のはじまりのサインのこともあります。
もちろん統合失調症の場合は身体症状だけでなく、「自分の存在が不確かなものである」ということを前提としたさまざまな症状も出現します。
統合失調症の初期症状は「あいまい」で、はっきりとしません。
本人も周囲も「気のせいだろう」とか、「とるにたりないものである」と考えられるような症状なのです。ときには訴えがまったくないような場合さえあります。
けれども、もしもそれがほんとうに統合失調症ならば、重大な見落としといわなければなりません。
そこには、子どもの将来を左右する事態が起こっているからです。統合失調症であれば、できるだけ早期に治療を開始しなければなりません。
親は子どもが示す状態、あるいは訴えを「とるにたりないもの」だと決めつけないことがなにより大切なのです。それはけっして悠長な事態ではないことを肝に銘じてください。
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行為障害
行為障害は、いわゆる「非行」と重なる部分がありますが、非行そのものではありません。
反社会的な行動が一時的なものではなく、持続している場合につけられる診断名です。
反社会的、攻撃的な行動を繰り返す行為障害は、犯罪とも結びつきやすく、社会的な面からみても問題が大きい心の病気といえます。
行為障害と診断されるような状態になると、その治療は非常にむずかしいのが現状です。
本人は「自分は悪くない」という思いが強く、あらゆる存在に敵意をいだいており、治療を拒否しがちです。
犯罪をおかして自立支援施設や少年院などに入り、そこで矯正教育を受けることも少なくありません。
本人の心の底には強い劣等感があるものです。
そのことを理解したうえで、早い段階から働きかけ、未然に防ぎましょう。
10歳未満での発症は、慎重な対応が必要
行為障害は、10歳以前に発症する「小児期発症型」と、思春期の頃に発症する「青年期発症型」の二つのタイプに分けられます。
青年期発症型は、同年代の仲間との関係はよいのが特徴です。
いわゆる非行は青年期発症型の行為障害にあてはまることがあります。しかし、大半は一時的なものです。
一方、幼い頃から友だちづきあいが長続きせず、孤立した状態で反社会的な行動を繰り返す小児期発症型は、反社会性人格障害に進展しやすいといわれています。
強がってみえますが、内面は劣等感にあふれています。より慎重な対応が必要です。
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「チック」という症状
まばたきが激しい、突発的に肩をすくめたりする
しようと思ってしているわけではないのに、急に体が勝手に動いてしまう。しかも、それが繰り返される。こうした症状が「チック」です。
子どもにチックが現れると、親は「しつけが厳しすぎだのか」などと気に病みがちです。
しかし、チックの発症には遺伝的な体質がかかわっており、親の接し方だけが原因というわけではありません。
ただし、いじめや家庭内の問題などが発症のきっかけになったり、学校行事の前などに症状がひどくなったりすることがあります。
心の状態と症状の出現が関連していることは否めません。
「やめなさい」などといった注意は、子どもにストレスを与えてしまいます。
ほかに気になることがなければ、「そのうち治る」と気長に接するのが最良の策です。
運動性チック
まばたき/しかめ面/首をふる/首を回す/肩をすくめる/足踏み/飛び跳ね/自分をたたく など
音声チック
鼻をすする/せきばらい/奇声/汚言(不快なことば)を発する など
トゥレット障害
運動性チックと音声チックの両方が起こる状態をいいます。
通常、幼児期に運動性チックから始まり、7〜9歳で音声チックが加わります。
小学生のうちは激しい症状を示していても、15歳くらいまでには目立たなくなる例が大半です。
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子供のうつは分かりにくい
子どもはうつという事態に陥っても、大人のように抑うつ気分や抑制症状を自覚・認識し、言葉で表現することが容易ではなく、表情、態度、行動、身体症状などで表す場合が少なくありません。
しかし、表情、態度、行動、身体症状の評価は、状況によって変化するものであり、観察者によっても千差万別であるため、一定の基準を設けることはなかなか困難なのです。
また、同じうつに陥っても、ある子どもは学校へ行けなくなり、家にひきこもって動きが乏しくなりますが、別の子どもはむしろイライラして親に当たり散らし、落ち着かない状態が続くこともあります。
さらに、頭痛や腹痛などの身体症状の訴えが中心で、執拗な訴えを繰り返す子どもや、いかにももの悲しそうにメソメソする子どももいます。
ときには、何事においても自分を責めて後悔ばかりする子どももいれば、斜に構えた態度で厭世的な言葉を述べる子どももいるのです。
このように同じうつでも、個々が表面に見せる症状はそれぞれ異なっていることが少なくありません。
では、すべてのうつに共通する本質的な症状とは、どのようなものなのでしょうか。
ここで、うつの症状を、最も基本的で、皆に共通して存在する症状(中核症状)と、個人の個性(性格、年齢、国民性など)を介して表れる二次症状に分類して説明しようと思います。
中核症状とは、うつの最も基本的な症状です。
身体症状として、
・睡眠障害(途中で目が覚める中途覚醒、朝早く目が覚める早朝覚醒)、
・食欲障害(食欲がない、体重減少)、
・日内変動(朝の調子が悪く、夕方から楽になる)、
・身体のだるさ(身体が重く、疲れやすい)があり、精神症状として、
・興味・関心の喪失 (好きなことが楽しめない)、
・意欲・気力の減退(気力が出ず、何事も億劫)、
・知的活動能力の減退(集中できず、頭が働かない)があげられます。
これらの症状は、うつの最も本質的な症状であり、おそらく脳の生物学的変化(脳内におけるセロトニンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質のアンバランス)を直接反映する症状と考えられます。
すなわち、風邪で発熱し、咳や鼻水が出るのと同じように、なぜそうなるのか本人にもわからず、それ以上立ち入った分析ができず、誰にもほぼ同じ形で体験されるという特徴を持ちます。
中核症状は子どもの個性、年齢、国民性を超えて一様です。さらに、動物のうつ病にも認められる症状と言えます。
動物も風邪をひけば、熱や鼻水が出るのと同じです。
二次症状とは、中核症状の体験が各個人によってさまざまな形で表れたものであり、性格、個性、年齢、国民性などによる差異が大きく、きわめて多様なことが特徴です。
つまり、風邪をひいても、訴えが多い子もいれば、じっと我慢する子もいます。
あるいは、泣き騒ぐ子、機嫌が悪くなる子、おとなしくなる子、普段と変わらない子など、さまざまな表れ方があります。
うつの二次症状は、不安、憂うつ、焦燥感、イライラ感、悲嘆、悲哀感などの感情面の症状や、自傷行為、自殺企図、ひきこもりなどの行動面の症状があります。
これらは、背景に中核症状が存在し、それが性格、年齢、国民性などによってさまざまな表れ方をしていると考えれば、理解できるのではないでしょうか。
子どものうつ」は性格・個性や国民性によってさまざまな様相を呈することが多いと言えます。
このことが「子どものうつ」の診断を難しくしてきた大きな要因と考えられます。
しかし、丁寧に質問して確認してみると、個性や国民性が異なっていても、いずれの子どもも、眠れない、食欲がない、疲れやすい、朝の調子が悪いなどの身体症状と、好きなことも楽しめない、何事も億劫、集中できないなどの精神症状からなる中核症状は、共通して存在することがほとんどです。
前景に見える症状だけでなく、その裏に潜む中核症状の存在につねに注意することが、「子どものうつ」を見逃さない重要なポイントになるのです。
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自傷(リストカット等)
体を傷つける
自傷でもっとも多いのは、利き手と反対側の腕や手首に刃物で筋をつける行為です。
「リストカット」といわれ、心が不安定になるたびに繰り返される傾向があります。
最近は腕や肩、腹部、大腿部などを傷つける例も増えています。「死にたいから切る」 わけではありませんが、
空虚感をかかえているという点では、自殺を試みる人の心情と共通しています。実際、死に至ることもあります。
自傷行為は放っておけばおさまるものではありません。本人も重い心の負担をかかえています。精神科への受診を考えましょう。
リストカットを繰り返すのは大半が思春期の子どもですが、もっと低年齢でも、頭を壁に打ちつける、皮膚に爪を立てて傷をつくるといった自傷行為がみられることがあります。
これらは知的障害をもつ子どもたちに多くみられます。
大あわてで止めようとすると、「自傷行為をすれば関心がひける」という条件づけができてしまいます。
自傷行為自体には無関心を装い、ほかの行動に移れるようにさりげなく働きかけましょう。
考えられる心の病気
●人格障害
●適応障害
●摂食障害
●統合失調症
●気分障害
自傷行為は繰り返される
リストカットを繰り返す子供たちは「自分はなんのために生きているのか」「どういう人間なのか」「何がやりたいのか」という疑問に答えが出せないでいます。
その答えを見つけられれば、自傷行為の繰り返しは止まります
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登校しなくなった生徒になにをすべきか
この10年で、教師のメンタルヘルスはかなり低下したと私は感じています。
業務量の多さ、生徒の親との乳轢、学級崩壊、教師の聖職者としての地位の低下など、教師を取り巻く環境は悪化しているのではないかと危慎されます。
そのような環境の中で教師は対応に苦慮する生徒に対して、あるいはその親に対してなにをすべきか、なにをしてはいけないのかをここでは示したいと思います。
不登校の生徒にどのように対応したらよいのかという質問の正解は存在しません。
ですので教師がどのように対応すべきであるかという正解もまたありません。
しかし、注意してほしいことはあります。
不登校の生徒に対して、精神論はなんの意味も持たないということです。それどころか、逆効果になることはしばしばです。
別に彼らは怠けたくて学校にいかないのではないのです。自分でもどうして登校できないのかわからないことがほとんどです。
そんな彼らを叱咤激励したところで、登校できるはずもないし、励ませば励ますほどに、自分はなんてダメな人間だと思い知らされることになります。
「お前はほかの生徒がしているようにどうしてできないんだ」などと、教師には絶対にいってほしくない言葉です。
たしかにふつうに登校していないのは事実かもしれません。ほかの一般的な生徒と横並びではできません。
しかし、だからといってけっしてダメ人間ではありません。ただ単に集団行動が苦手で、学校が得意ではないだけです。
私は「たかが学校ではないか」と思います。学校制度ができてたかだか百数十年にすぎません。完璧であるはずもないのです。
教師には、たかが登校できないぐらいで生徒に「ダメ」というレッテルを貼ることはやめてほしいと願います。
不登校の生徒にも良いところ、優れたところはいくらでもあります。では、まったく放任すればよいかというと、無論そうではありません。
緩やかなコンタクトを取り続けてください。
たとえ学校にきていなくても、クラスの一員であることを伝えてほしいと思います。学校へきていないのだから放任されても仕方がないという態度は控えるべきです。
自宅訪問しても、会いたくないと生徒がいっているときに無理強いしてはいけません。
そのときは親と会ってください。
それもむずかしければ、電話で「あなたを忘れていない」ということを伝えることも大切です。
登校できるようになったときの居場所の確保も重要です。
相談室登校、保健室登校も大切ですが、誰かひとりだけで対応するのはむずかしいことです。
担任教師、スクールカウンセラー、養護教員など、できるだけ複数の連携は必要だし、できれば学校全体で不登校の人のフォローの体制ができるとよいと思います。
担任教師がひとりでかかえ込むことは、もっともいけないことです。
それは結局、不登校の生徒を追い込むことになるし、一方で担任教師自身の孤立化を招き、教師のストレスを増大させることにもなるのです。
教師が悩んだら、すぐに相談できる体制づくりが望まれるのです。
不登校が長期化してくると、一種の断都状態が必然的に生じてきます。この膠着状態に陥ると、生徒の変化に気付きにくくなってきます。
さらに長引いてくると、教師自身がなにをしてよいのかわからなくなってしまうこともあります。
このようなときには、メンタルクリニックのような専門機問に相談することもひとつの方法です。
これは、教師の不安感や焦燥感を和らげる効果もあると思います。
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心の病気にかかりやすい年齢
心の病気や障害は、タイプによって発症しやすい、あるいは気づきやすい年齢があります。
大きく分ければ、比較的、低年齢で診断がつく発達障害のほかは、一〇歳以降、中学生から高校生の年齢にかけての発症が多くなっています。
広汎性発達障害(自閉症)は三歳頃、AD/HDは学校生活への不適応が目立ち始める七〜八歳に診断がつくピークがあります。
一〇歳以降、ただでさえ心の状態が不安定な思春期は、さまざまな心の病気や障害が起こりやすい年代でもあります。
親にとっても苦しい時期ですが、子どもとしっかり向きあい、乗りきっていきましょう 。
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「子どものうつ」の前触れ、症状
「子どものうつ」の具体的な症状を紹介しましょう。
子どもはどんな言葉で表現し、どんな行動で示すのか、見てみたいと思います。
身体症状
うつは精神の病気というより、身体の病気と考えた方がよいと思います。
したがって、うつになると、まず身体症状が自覚され、小児科や内科を受診することになります。
睡眠障害
寝つきが悪くなり(入眠障害)、寝ついても二〜三時間すると目が覚めてしまい(中途覚醒)、その後眠りが浅くウトウト状態で(熟眠障害)、しばしば朝早く目が覚めてしまいます(早朝覚醒)。
ときには、夜間眠れるのに昼もたえず眠く、実際に眠ってしまう(過眠)場合もあります。
子どもは嫌なことがあっても、本当の睡眠障害になることは稀です。不登校となり昼夜逆転の生活になっても、陸眠の質は悪くならない場合がほとんどです。
典型的な中途覚醒および早朝覚醒は、うつ以外の疾患では稀なので、このタイプの睡眠障害があればうつを疑ってみる必要があると思われます。
食欲の変化
食事の量が減ります。何か食べたいという気持ちにはなれません。空腹感は感じますが、食べたいとは思いません。好物もおいしいと感じません。そのために、しばしば体重が減少します。
しかし、頑張って食べているために体重が減少しない子どももいます。
成長期の場合、身長が伸びているのに体重増加がないときは、食欲の低下を疑ってみる必要があります。
稀に、かえって食欲が克進して過食してしまい、とくに甘い物を食べ過ぎて体重が増加することもあります。
身体のだるさ
何となく身体が重く、だるい、身体に力が入らない、身体に鉛が入っているような感じがします。
すぐに横になってしまったり、一日中布団から出ることができません。
そのために小児科、内科を受診して、診察と検査を受けても、どこにも異常がないと言われます。
日内変動
日内変動とは、身体・精神症状全体が、朝日を覚ましたときに最も悪く、午後から少しずつ軽快していき、夕方から夜にかけていくぶん楽になるというものです。
極端な場合には、朝はどうしても起きられなくて朝食もとることができず、午前中は床についたままだけれど、昼には何とか起き出して、多少食事をとり、テレビ・ゲームでもしてみる気になります。
夕方になると少し元気が出てきて、好きなテレビを見て、ときには笑ったりすることができるようになります。
夜が更けるにつれていっそう元気が出ますが、翌朝起きたときには調子が悪く元に戻ってしまうというパターンをとります。
いわゆる不登校の子どもの中にも同じようなパターンをとる場合がありますが、日曜日や夏休みなどの学校へ行かなければならないというプレッシャーがない場合にもこのような状態が続くときは、うつを疑ってみる必要があります。
この日内変動は、心因性抑うつ状態や悲哀反応などにおいては原則として見られません。
その他の身体症状
頭が重い、頭痛、腹痛、肩こり、背中が凝る、胸が締めつけられて苦しい、動悸、口が渇く、発汗、寝汗をかきやすい、悪心、嘔吐、胃部不快感、腹部膨満感、めまい、手足の冷え、知覚異常、手足の痛み、全身の痛み、便秘、下痢など、多彩かつ多数です。
うつの子どもたちは、頭痛がするために夜も眠れず、食欲もないのだと考えて、家族や医師には頭痛のみを訴えるようなことが少なくありません。
身体の具合が悪いために元気が出ないものと考えて、精神症状についてはかなり重症にならないと、自ら訴えようとしません。
精神症状
興味・関心の減退
興味・関心の減退を表す言葉としては、
「好きなことに興味がわかない」
「何事も楽しめない」
「趣味や遊びに気が向かない」
「マンガを読む気がしない」
「好きなテレビも見る気がしない」
「テレビ・ゲームもやる気がしない」
「友達と遊ばなくなった」
「何もせずにボーッとしていることが多くなった」などがあります。
なぜかわからないが、何に対しても以前ほど興味がわかなくなり、好きだったことも面白くなく、生き生きとした表情で好きなことを楽しむことがなくなります。
気力・意欲の減退
気力・意欲の減退は、
「やる気が出ない」
「何事も億劫だ」
「意欲がわかない」
「やらなければならないと思うができない」
「身体がついていかない」
「気力が出ない」
「根気が続かない」
などの表現で訴えられます。
これは、ちょうどオイルが切れたエンジンが、エンジン自体の機能は悪くないのに、うまく動かず、十分に機能しない状態にたとえることができます。
やらなければならないという気持ちはあっても、身体がついていかない状態と言えます。
知的活動の減退
それまで苦もなくできていたことに、集中できなくなります。
たとえば、マンガや本を読んだりしても頭に入らず、何度も同じところを読み返してしまいます。
以前であれば、何時間でも読めたのに、すぐに集中できなくなり、疲れてしまうのです。
簡単なことが決められず、優柔不断になります。勉強しても、時間ばかりかかって能率があがりません。
「集中できない」「頭の回転が悪くなった」「頭が働かない」「決断できない」などで表現されます。
気分(感情)の障害
うつの程度が強くなってくるにしたがって、抑うつ気分が出現してきます。
具体的には、
「気持ちが沈む」
「憂うつな気分」
「気が滅入る」
「もの悲しい」
「暗い気持ち」
「寂しい」
「むなしい」
「自然に泣けてくる」
などの表現で訴えられます。
顔つき、振る舞い、話し方などの様子も元気がなくなってきます。
次第に、些細なことで涙を流したり、生気のない表情が見られるようになります。
表情がなくなり、反応に乏しい状態になることもあります。
ついには、「生きていてもしょうがない」「生きる価値もない」などと考え、何事に対しても絶望感に満ちあふれ、自殺念膚が出現してきます。
逆に、イライラした気分、不機様な態度、落ち着きのなさなどが表れることもあります。
不安、焦燥感が強く、じっとしていられず、身の置き所がないという状態になることもあります。
思考の障害
頭が働かない状態が強くなると、思考制止と言われる状態になります。
考えが遅々として進まず、同じことをくどくどと考え、考えがまとまらない状態になります。
思考内容の障害としては、何事に対しても自信がなくなり、悲観的で、自己を過小評価します。
「あんなことをしなければよかった」と後悔ばかりするようになります。
さらに、「物事がうまくいかないのは自分のせいだ」「みんなに悪い」と自分を責めるようになります。
子どもでは稀ですが、「自分は取り返しのつかない過ちをした」という「罪業妄想」 に発展したり、
些細な身体の不調を「自分はガンになってしまった」「もう手遅れだ」と思い込んでしまう「心気妄想」に発展したり、現実には金銭的にまったく問題はないのに、「入院費用が払えないから入院できない」などと主張する「貧困妄想」に発展することもあります。
行動症状
行動面での症状は、
「学校へ行けない」
「人に会いたくない」
「家にひきこもる」
「一日中寝てばかりいる」
「部屋から出ていけない」
などの訴えが多く見られます。
行動面だけを見ると、まるで怠け者になったように見えたり、わがままになったように見えたりすることがあります。
いわゆる「不登校」「怠学」「ひきこもり」と言われている子どもたちの中の少なくとも一部は、うつの可能性があると思われます。
その他、動作が緩慢、動きが鈍い、動きが少ないなどの行動抑制症状、逆に動きが多い、徘徊、じっとしていられないなどの多動に関連した症状、
攻撃的言動、衝動性、自殺企図、自傷行為、行為障害などの問題行動として出現する場合などきわめて多様です。
いずれの場合も、それらの行動の背後に中核症状が存在することが診断のポイントになります。
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思春期の心のトラブル
中学生の両親からの相談で、もっとも多いのは「不登校」だそうです。
その中でもとくに理由が思い当たらない不登校が多く、いじめ、非行などの比較的原因がはっきりしたものは少ないのが特徴です。
中学生の不登校を考えるときに、もっとも危供するのは統合失調症のはじまりかもしれないということです。
統合失調症の好発時期は、高校生のころが多いのですが、中学生のときに発病することもしばしばあります。
中学生から発病する兢合失調症は予後がよくありません。だからこそ早期に発見して、早期に治療することが必要なのです。
統合失調症の予兆としては、自分の意思とは関係なく、さまざまな観念、イメージ、過去の記憶があふれ出てきたり、物音や目に入るものに敏感に反応したり、身体の違和感を覚えたり、なんだかまわりから見られているように感じたり、どうしてかわからないけど、なにか差しったような気になったりすることです。
これらがきわめて目立つ症状であれば、家族や周囲も「なにか変だ」と思うのですが、あまり目立たない場合は、不登校だけが問題になり、病気が見逃されることがあります。
子どもが不登校になったときは、両親や周囲にいる人は、「学校へ登校できない」という現象面を見るだけでなく、統合失調症のはじまりについても念頭に置かねばなりません。
高校生の相談も、不登校が最多で、統合失調症もしばしばみられるようになります。
このころは中学生と比べて、幻覚、妄想、興奮、昏迷などの症状が目立ちはじめます。
また、あまり知られていないのですが、思春期のころは、不登校以外にも社会不安障害が起こりやすい時期でもあります。
人から注目されるのが怖い、初対面の人と話したり人前で話すのが苦手、人前で食事ができない、偉い人の相手をするのが苦手、人前で字が書けないなどが社会不安障害の症状ですが、
これらは「内気」とか、「恥ずかしがりや」といった性格の問題として片付けられてしまうことがほとんどです。
しかし実は社会不安障害という病気であることが多いのです。社会不安障害であれば治療する価値がある、つまり治療効果が認められるのです。
摂食障害もこの時期によく認められるようになります。
以前からよく知られたことですが、この病気は男性よりも女性に好発します。
摂食障害には拒食と過食があります。
ひと昔前は、摂食障害といえば拒食症でしたが、最近は拒食と過食を交互に繰り返したり、過食だけみられたり、拒食より過食のほうがむしろ多い傾向が認められます。
比較的経過が良好な摂食障害でも、10年以上も治療を継続するケースはしばしばみられますので、早期の治療が優先されることはいうまでもありません。
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「子供のうつ」のサインを見逃さない!
どのようなときに、子どものうつを疑ったらよいのでしょうか。
そのポイントを五つ列挙してみたいと思います。
学校へ行き渋るようになった
それまでとくに問題なく登校していた子どもが学校へ行き渋るようになったとき、うつが存在するかどうかを確認しておく必要があります。
学校へ行き渋るようになった理由が明らかな場合でも(たとえば、いじめなど)明らかではない場合でも、うつが存在するかどうかを確認しておいた方がよいでしょう。
このとき、不登校との見分けが問題になります。
以前に、うつと不登校の見分け方の要点を書きましたが、
第一に、学校へ行かなければならないというプレッシャーがない状況において元気かどうか、
第二に、最もリラックスできる状況で自分の好きなことを本当に楽しめるかどうか、
第三に、いじめなどの明らかな心因があったとしても、うつ病の中核症状がそろっているかどうかが大事なポイントになります。
身体症状が続いていても検査では異常がない
子どものうつ病は、身体症状が表れやすいことが特徴です。
その症状は頭痛・腹痛あるいは微熱などのありふれたものであり、やや漠然としており、計量化しにくい(疲労感、倦怠感、痛み、身体が重いなど)ことが少なくありません。
そのような場合、小児科に行って検査をしても異常が認められず、気の持ちようだ、あるいは性格的なものだと片づけられる場合があります。
また、症状自体が漠然としているため、ご両親も学校の先生も、本人には申し訳ないが 「本当に病気なのだろうか」という疑問が生じてくることも稀ではありません。
しかし、うつ病の場合、本人は身体の症状がつらく、困っています。
症状の訴えはさほど執拗ではなく、誇張的でもありません。
つまり、うつ病の子どもたちの身体症状は決して演技ではなく、本当に痛く、だるく、つらく、苦しいのです。そして、それをひとりで我慢していることがほとんどなのです。
睡眠障害、食欲障害がある
一般に、大人は嫌なことがあったりストレスがかかったりすると不眠や食欲不振の症状が出ますが、子どもはそう簡単に不眠や食欲不振にならないものです。
子どもに睡眠障害や食欲障害が表れたら、子どもの心に重大な問題が生じていると考えるべきです。
とくに、夜中に目が覚めて眠れない「中途覚醒」や、朝早く目が覚める「早朝覚醒」が続く場合、あるいは食欲不振が続き体重が減少する場合にはうつ病を疑う必要があります。
私は、うつ病を精神の病気というより身体の病気であると考えているので、睡眠障害と食欲障害に最も注意を払います。
睡眠と食欲は、人間が生きていくうえで最も基本的な機能だからです。
涙もろくなり、自分を責めるようになる
とくにきっかけもないのに些細なことでメソメソしたり、涙もろくなったりする場合や、必要以上に自分を責めたり、くよくよと後悔ばかりする場合も注意が必要です。
そのような状態が続くときには、うつ病を疑ってみる必要があります。
一見、明らかな理由があったとしても、このような状態が二週間以上続く場合には注意が必要です。
環境の変化やライフイベントがあって不調になる
不調の前に、環境の変化やライフイベント(進学、卒業、転校、引っ越しなど)があったときも注意が必要です。
うつ病の発症前にこのようなきっかけがある場合が少なくありません。
大人のうつ病では、昇進や転勤がきっかけになることが少なくありませんが、子どもにおいても同様に環境の変化がきっかけになるケースが見られます。
そのことが本人にとって味なことではなくても、あるいはむしろ期待していたり、待ち望んでいたりする事柄であっても、うつ病のきっかけになることがあるのです。
しかし、誤解しないでほしいのは、それはあくまできっかけであって、決して原因ではないということです。
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