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   <title>「心の病」を癒す方法</title>
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   <updated>2008-12-30T10:34:14Z</updated>
   <subtitle>心のバランスをくずしているあなた、もしくは身内・友人・恋人に「心の病気（うつ・パニック障害・ひきこもり・リストカットなど）」を抱えている方がいる方の為に、原因、症状、チェックの仕方、治療法、周りの接し方を解説します</subtitle>
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   <title>「現実感」を取り戻す方法は…、</title>
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   <published>2008-12-30T10:24:12Z</published>
   <updated>2008-12-30T10:34:14Z</updated>
   
   <summary>いま、若い人たちに流行のタトゥー（刺青）やピアッシング（皮膚剥離）で自らの身体に...</summary>
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         <category term="様々な心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[いま、若い人たちに流行のタトゥー（刺青）やピアッシング（皮膚剥離）で自らの身体に傷をつける人たちにも、<span class="b">「リアリティの取り戻し」</span>の欲望を感じることがあります。

もちろん、彼らの目的は、ファッション性にあります。

しかし、皮膚にかなり深い傷をつけて療痕化させる「スカリフィケーシヨン」やいわゆる焼き印である「ブランディング」になると、

<span class="underline">できあがったときの模様などより身体を切り刻んだり焼いたりすることのほうに重点があるのではないか、</span>と思えてきます。


そうなると、「切った瞬間の痛みや出血で『私は生きている』と実感できる」と手首や上腕をカミソリなどで切る、自殺を目的としない「リストカット症候群」の人たちとの境界もあっという間に不鮮明になってしまいます。

臍や性器など、ふだんは人目につかない場所に「ピアッシング」（穴をあける）をする若い女性のインタヴューの記事を読んだことがあります。


彼女は、次のように言っています。


<span class="italic">「私はだれかに見せるためにピアスをしているのではない。

だれからも見えなくても、おへそやあそこにピアスしているといつもその部分を意識していられる。

そのためにやっているの」</span>


彼女もまた、ピアスでつなぎとめることでかろうじて「自分が自分であること」の実感を得ているのかもしれません。

逆にそうでもしなければ、自分の感覚、身体の感覚は、あっという間にどこかに飛んでいってしまうのでしう。

ピアッシングやタトゥーは、自己改造の欲求の現われだと考える人がいます。

しかし、私はそうは思わないのです。

リストカッターたちが死ぬためにだけではなく、その瞬間に自分が生きていることを実感するために腕や手首に傷をつけるのと同じように、

身体のあちこちに穴を穿ち、墨を流し込む若者たちは、<span class="underline">そうすることでその部位を中心とした自己感覚やリアルな身体感覚を手に入れようとしているのではないでしょうか。</span>


たとえば、これまた最近、若い人たちの間に広がっているといわれる美容目的の整形手術にしても、根幹は同じだと思います。

まぶたを二重にし、顎を削り、オリジナルとは似ても似つかぬ面差しに「変身」していく女性たちは、そうすることでニセモノの自分になろうとしているわけではありません。

<span class="b">逆に、ホンモノの自分になりたいからこそ、身体を改造するのでしょう。</span>

リアリティと真実は、メスを入れられプラスチックを注入されたほうの身体にあるはずです。

彼女たちは、そう信じているのです。

ですから、昔のように<span class="b">「整形手術＝ニセモノ」</span>といった後ろめたさは薄まり、飯島愛のように堂々と「私は整形手術を受けまくった」と告白するタレントも現われはじめました。

<span class="b green">そう、なにも問題はない。

だって手術を受けた後の自分が、本当の自分なんだもの……。</span>

彼女たちはそう言うでしょう。

傷を中核に形成されるリアリティや自己同一性が、ここにもあります。]]>
      
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   <title>ケータイに依存する少女たち</title>
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   <published>2008-12-29T03:20:29Z</published>
   <updated>2008-12-29T03:28:53Z</updated>
   
   <summary>石原慎太郎都知事が、解剖学者・養老孟司氏との対談のなかで、最近の若者の携帯電話依...</summary>
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         <category term="女性特有の心のトラブル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[石原慎太郎都知事が、解剖学者・養老孟司氏との対談のなかで、最近の若者の携帯電話依存についてこう感想を述べていました。


<span class="italic">「なぜ電話のほうがいいのだろうか。

普通、人間というものは、顔を見て話をするものではなかったのか。

それが今では電話のほうが、一見無心に長話をしている」</span>（「子供は脳からおかしくなった」（『文藝春秋』　2005年8月号）


それに対して養老氏は、

<span class="italic">「（ケータイでのコミュニケーションはいまの若者の）弱い自我を守るための貴重な方法なのではないか」</span>
と答え、

<span class="italic">「（ケータイのほうが）ずっと居心地がいい、というのもわかるような気がするんです」</span>

と理解を示そうとしています。

もし、養老氏の仮説が正しいとすると、それに対する反応はふたつに分かれると考えられます。

すなわち、養老氏のように、「わかる気もする」とケータイ依存を受容する方向で考えるか、

あるいは、「そもそも自我が弱体化しているのが問題なのだ」とあくまでケータイのコミュニケーションをよしとしない方向で対策を棟るか、いずれかでしょう。


実は、社会やおとなたちは、いま、このふたつの方向性の間で揺れ動いているのではないでしょうか。

<span class="b green">「便利だし気楽だしもはやケータイなしには暮らせない。

生活やコミュニケーションにおけるケータイの比が高くなるのも当然だ」</span>

という前提で、「どうつき合い、どう使うか」というメディアリテラシーの啓蒙に力を入れていくべきだ、という人もいます。

しかし、そういう人でさえ、わが身のこととなると、

<span class="italic">「子どもが家でケータイばかりやりすぎているのが気になる。

昔の子どもは原っぱや路地で元気に遊んだものなのに」</span>


と、ケータイに対して警戒心を抱いてしまうこともあります。

生まれたばかりの新しいテクノロジーに対して、社会の態度が一定しないのは、よく考えれば当然のことです。

同時に、それが人間を幸福にしてくれるのか、それとも幸福とは逆の方向に導くものなのかは、結果論でしか語れない場合も多いといえます。

大切なのは、<span class="b green">「ケータイはすばらしい」</span>

あるいは、<span class="b green">「ケータイはけしからん」</span>


と安易に判断を下すことなく、自分のなかにある、「ケータイをめぐるク揺れる気持ち」をきちんと自覚することだと思います。

<span class="b green">「もっと使いたい」

「でも本当に大丈夫だろうか」

という迷いや葛藤のなかからしか、答えは見えてこないのですから…。</span>

デジタルメディアにはふさわしくない曖味な結論ですが、私は、そう思うのです。]]>
      
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   <title>子供との心のコミュニケーションをとる５つの方法</title>
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   <published>2008-12-28T06:55:28Z</published>
   <updated>2008-12-28T06:56:17Z</updated>
   
   <summary>「コミュニケーションがうまくとれない」と悩み、傷ついている人たちが相変わらず多い...</summary>
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         <category term="子供の心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<span class="b green">「コミュニケーションがうまくとれない」</span>と悩み、傷ついている人たちが相変わらず多いことに驚かされます。

最近、とくに目立つのが、親子や夫婦などもっとも身近な人とのコミュニケーションがうまくとれないと悩むケースです。

そして、コミュニケーションをとるための努力を最初から放棄しておきながら

<span class="b green">「わかってもらえるはず」</span>

と期待し、失望するというケースです。

それは、おそらくメールやネットの掲示板でのコミュニケーションによつて受けた心の傷から立ち直れないというケースでしょう。

これらは一見するとまったく別の問題のようですが、実は、根底に横たわる問題は同じと考えられます。

すなわち、

<span class="b green">「努力して話したり聞いたりしなくてもわかりあえるはず」</span>

とコミュニケーションに対する楽観視が、トラブルや失意を引き起こし詔いると考えられるのです。

さらに、その背景には、

<span class="b green">「他者も自分と同じことを考えているはず」</span>

という前提があります。

そして、他者の考えや気持ちについて想像することをやめてしまう一種の思考停止状態が存在していると考えられます。

さらに、この思考停止はときとして他者にだけではなく、自分に対してまで発動される場合があるのです。

すなわち、自分の意思や感情について考えることさえやめ、心を丸ごと超越的な何かにあけわたしてしまうのです。

<span class="b green">「何も考えずにあなたの守護霊の導きにまかせればいい」</span>

といった霊感占いや占星術のブームも、この「自己のあけわたし」の表れだと考えられます。

自分の考えを確認することさえやめてしまった人が、他者と円滑なコミュニケーションを取ることなどできるはずがありません。

ましてや、自分でもわからない自分の心の中を、相手に推測し、受け入れてもらおうと期待しても、空しい結果に終わることは、最初から明らかです。


ではどうすれば「自己のあけわたし」を予防し、自分の言いたいことをしっかりと自覚したうえで、それを的確に相手に伝えることができるのでしょうか。

そのために必要なのは、「他人は自分とは違う存在」というきわめてシンプルな事実を再確認し、十分に配慮することです。

そのうえで、<span class="b green">「この人とコミュニケーションをとりたい」</span>という素朴でかつ強い要求をもつことです。

そして、多少の行き違いはあってもあたりまえと考え、ひとつひとつに深く傷つかないこと、この三点に尽きると考えられます。


<h3>今日からできる五つのこと</h3>


<span class="b f11em">（１）「まず否定」のクセをやめよう</span>

年代も違い、さらには性別も違う娘の考えていることなど、さっぱりわからない、これが親とりわけ父親たちの本音ではないでしょうか。

最初からそう決めてかかると、自然とそれが態度や表情にも現れるものです。

そして、娘のやることなすこと、さらには服装やその交友関係までを、まずは疑ったり否定的にとらえたりするクセが身についてしまうのです。


たとえば、娘が自分より遅く、夜12時近くに帰宅したとしましょう。

そこで娘を尊重している親なら、まずは「おかえり」とその帰宅を歓迎するはずです。

<span class="b green">「遅かったね」「何してたの？心配したよ」</span>

と尋ねたりとがめたりするのは、それからのことです。

ところが、「娘は理解しがたい存在」と日ごろから思っている父親は、

「おかえり」

のことばも笑顔もないまま、いきなり、

<span class="b red">「何時だと思っているんだ」</span>

と否定的なセリフを口にしてしまうものです。

あるいは、無言で娘に冷ややかな視線を送るかもしれません。

あなたにも心当たりはありませんか。

これでは、たとえその遅い帰宅の理由が残業であったり、友だちの悩みの相談に乗っていたからであったりしても、娘は説明する気さえ失ってしまうでしょう。

もしかすると、「ストーカーにつけられて怖い思いをしながら逃げていた」という場合もあるかもしれません。

そんなとき、娘と大切な話をするチャンスを奪うことで、取り返しのつかない結果になる場合もあるのです。


では、どうすればいいのでしょうか。

<span class="b blue">まずは、娘を信じ、ひとりの人間として尊重することです。</span>

娘だって、何か考えや事情があって毎日、行動しているのです。

親をあざむいてやろう、親の目を逃れて悪いことをしてやろう、と思いながら暮ら転ている娘は、実はいないのです。

仮にいてもきわめて少数です。

「娘がやることはすべてあやしい」「とにかくロクなことは考えていない」　と思い込む被害妄想的なその発想を、今日からやめにしましょう。


<span class="b f11em">（２）しつこくせずに、「いつでも聞くよ」とオープンな雰囲気を</span>

娘という存在を認め、尊重したからには、じっくり話したい、その心を聞きたい、と思うのも当然の感情です。

ところが、どう話しかけてよいのかわからない、という父親も多いと思います。

あるいは、勇気を出して話しかけたら無視された、<span class="b green">「放っておいてよ」</span>と冷たく拒絶された、という経験をもつ人もいるかもしれません。

世代が違えば、コミュニケーションをとるのがむずかしいのはあたりまえです。

<span class="b green">「職場では若い人ともスムーズに話せるのに」</span>

と思う人もいるでしょう。

しかし、職場は「会社の利益をあげる」といった同じ目的をもった人たちの集まりだからこそ、世代や性別が違ってもある程度、話ができるのです。

また、上司や同僚などほとんどが共通の知り合いだから、話題にも事欠かないのです。


ですから、「職場の仲間より家族のほうがコミュニケーションをとるのは簡単」というのは、ある意味で大きな幻想なのです。

それゆえに、世代も性別も違う娘とは、いくらお互い尊重し合っていても、簡単にはコミュニケーションがとれないもの、と思うくらいがちょうどいいのです。


では、そのうえでどうやって意思の疎通をはかればよいのでしょうか。

大切な原則は、<span class="b red">「なんだ、どうしたんだ」</span>


と<span class="underline">しつこく聞きすぎない</span>ことです。

とくに、心がデリケートになる思春期には、おとなに、「どうしたの？」と問いかけられただけで、子どもは自分の胸の奥にまで踏み込まれたような嫌な感覚を味わうのです。

内心で、心配されてうれしい、という気持ちをもちながらも、「うるさいわね！」　と口答えしてしまうことも少なくないのです。

そういう場合は、食事どきや食後のリラックスタイムに、さりげなく

<span class="b green">「最近どうだ？　何かあればいつでも聞くよ」</span>

ということだけをさらりと伝えるのが、効果的です。

心の中で…いま話さなくてもいい、でも話したくなったときには話してほしい。

こちらにはいつでも聞く用意ができている‥。

そのことだけを思い、できれば伝えておけば、いつか娘から、


<span class="b green">「ねえ、お父さん」</span>

と話してかけてくれる日もあるはずです。

ですからその場では、「ほら、早く話せよ」　とせかさない寛太さが求められるのです。

<span class="b f11em">（３）妙に迎合しないほうがいい</span>

娘の関心を引くために、若者向けの音楽やドラマの知識を仕入れて、

<span class="b green">「いまラップが人気らしいな」</span>

などと話しかける父親もいます。

<span class="b green">「オレだって知っているんだぞ」</span>

という気持ちでしょう。
しかし、これは<span class="b red">逆効果</span>になりかねません。

　娘や子どもたちに生半可な情報をわかったようにひけらかすものと受けとられてしまう場合が多いのです。

そんなおとなを若者はいちばん嫌うもの、ということを忘れないほうがいいと思います。

共通の話題を見つけたければ、素直に、

<span class="b green">「最近はどんな音楽が流行っているの？」</span>

と尋ね、

<span class="b green">「お父さんは全然わからないんで、よかったら教えてよ」</span>

と教えを乞うほうがまだいいでしよう。

その後で、

<span class="b green">「最近はそういう音楽が主流なのか。

お父さんの時代にはハードロック一色だったよ。

トリノオリンピックの開会式で歌っていたピーター・ガブリエルなんて、お父さんが20代のときのヒーローだったんだ」</span>

と自分自身の経験や体験を語れば、

<span class="b green">「えーホント？　レコード持ってるの？　聴いてみたいな」</span>

しかし、ここで<span class="b blue">大切な問題</span>があります。

日ごろ妻ともろくに口をきかない父親が、いきなり娘に、「なんでも聞くよ」と言ってみたところで、信用されるわけはない、ということです。


「何かあったら話してみろよ」とことばで伝える以上に大切なのは、次に述べるように、
<span class="b">ふだんから妻と十分にコミュニケーションを取っている姿を、家庭内で娘に見せておくことなのです。</span>

そうすると娘は自然に、

<span class="b green">「お母さんの話もあんなによく聞いてくれるんだから、私の話も聞いてくれるだろう」</span>

と思うようになるはずです。

そういう父娘関係でいちばん鍵になるのは、逆説的に聞こえるかもしれないのですが、

「娘とどう向き合うか」ではなくて、「妻とどう向き合うか」なのです。


<span class="b f11em">（４）娘とうまくやりたければ、まず妻とコミュニケーションを</span>

「娘と妻が双生児のように仲がよく、間に入る余地がない」

という父親の話をよく問きます。

一見、仲よし母娘のようですが、実はこういう母親は、夫が自分のほうを振り向いてくれないからこそ、娘を同志にしている場合が多いのです。

娘ならまだいいとしても、驚いたことに、それでも満たされない妻たちは、家庭外の男性たちに救いを求める場合もあるのです。


<span class="b green">「ウソだろう。ウチの妻にはそんな度胸はないよ」</span>

とう人は、話題の書『セックス・レスキュー』（新潮社）を読んでみて下さい。

この本で紹介されている人類学者「キム・ミョンガン」氏は、性の相談所「せい」を開いています。

そこにはセックスレスで悩む妻たちが、毎日、大勢訪れます。

そういう女性にキム氏が自信回復のための「リハビリ・メイクラブ」を勧めます。

そして、相手がいないと言う人には「奉仕隊」と呼ばれる男性を紹介するのです。

そう知らされると夫たちは、<span class="b red f11em">「それは不貞だろう！」</span>と色めきたつかもしれません。

あるいは、「その奉仕隊に入れば人妻とつき合い放題なの？」と下世話な興味をもつ人がいてもおかしくありません。

にわかには、その存在も信じられない「奉仕隊」ですが、実は定期的に公募され、選ばれているのです。

「とにかく女とヤレる」といった男性ではダメで、性的技量よりも、夫とのセックスレスなどで自信を失い助けを求めている女性を救いたい、という使命感や包容力が求められるようです。

あくまで「リハビリ」のためのセックスなので、そこから恋愛に発展するのはタブーです。

こういった条件の下、毎回、競争率は、5倍程度になり、常に30～40人の男性が「奉仕隊」として活動しているのだといいます。

ジャーナリストとして日米両国で活躍する著者は、まず日本のセックスレスの実態とそれが女性たちに与える影響の深刻さに驚きながら、

キム氏のもとにカウンセリングに訪れる女性たちの心の叫びをリアルに伝えます。

そして、驚くべき「奉仕隊」の存在を紹介しながら、その助けを借りて立ち直った女性ばかりではなく、

一方で「奉仕隊」と出会ってかえって心の揺れが大きくなった女性やついに「奉仕隊」を受けられなかった女性がいることも措いています。

それにしても気になるのは、妻たちの置かれているこの状況を肝心の夫たちはどれほど知っているのか、ということです。

「奉仕隊」を利用した妻のひとりがひさびさに心身ともに男性に受け入れて1第6章ｌ私が「少女」だったころもらうという経験をしたあとで、著者に対して以下のようにつぶやく箇所が印象的です。

そのつぶやきとは、


<span class="b green">「私、気づいたんです。本当に抱きしめられたいのは、夫になんだって」</span>

妻たちが求めているのは決して身体の満足などではなくて、

<span class="b green">「ひとりの女性、人間として夫に認めてもらいたい、向き合ってもらいたい」</span>

そして

<span class="b green">「悩みや迷いがある自分を抱きとめてもらいたい」</span>

ということなのです。

もっと簡単に言えば、「私をちゃんと見て」ということでしょうか。


逆に考えれば、妻たちの多くは、日ごろ、いちばん身近にいるはずの夫に自分をしっかり見てもらっていない、と感じて、孤独感や不安感を募らせでいるのです。

そういう妻たちが、夫に蔑りをつけて自分の娘や息子、韓流スター、さらにはホストや「奉仕隊」などに癒しを求めたとしても、夫には文句を言う権利はないでしょう。

しかし、<span class="b">母親の「心の逃げ場」にされる子どもたち、とくに双生児的な関係を求められる娘にとっては、これは必ずしも好ましいことではありません。</span>


ある20代の女性は、以下のような話をしてくれました。

<hr />

<span class="italic">子どものころから「母娘べったり」の関係を続け、これまでは自分でもそれを心地よいと思っていたのだが、

最近になって、「なるべく近くの人と結婚してね」などと結婚にも口をはさむようになってきた。

ふと気づくと、これまでも学校の選択から友だちの好き嫌いまで、すべてに母親は口をはさみ、ときには「こうしたら？」と指図することもあった。

自分は母親の人形として、言うなりに生きてきただけだったのだ…</span>

<hr />

娘とこれほどまでに密着した関係になる母親の多くは、<span class="underline">夫とはほとんど会話すら交わさずに日々を暮らしているものです。</span>

別の密着型母娘の母親に夫との関係について尋ねると、吐き捨てるようにこう言いました。

<span class="b green">「夫？ああ、いまでは家具のようにしか見えません。

まじめな人でお給料はちゃんと入れてくれるから離婚しようとは思いませんが、いったい何を考えてるのか‥。

もちろん向こうも、私が最近、どんなことを考えているのかなんて、いっさい知らないし興味もないと思いますよ。

でもその分、娘とは何でも話し合えるからいいんですけれどね。

娘もお父さんきらい、って言ってますし」</span>


この母親が、「給料を運ぶだけで自分に関やをもってくれない夫」との生活のなかで不満を抱き、それが<span class="b red">娘への過剰な依存</span>を生んでいることは明らかです。

しかし、「家具としか思えない」という段階に至っては、夫との関係の修復はなかなかむずかしいでしょう。


夫に対して、

<span class="b green">「奥さんをもっと見てあげてください、コミュニケーションをとってあげてください」</span>

と言うと、

<span class="b green">「いったい何を話せばいいのか」</span>　と困ったような顔をする人がいます。

<span class="b green">「正直言って、子どもは大切だけれど、妻には愛情を感じません」</span>

とはっきり口にする人（夫）もいます。

しかし、<span class="b red">あなたが妻を放っておくことで、妻と娘の関係がどんどん濃密なものとなり、

結果的に大切な娘の人生までむしばんでしまうこともあるのです。</span>


<span class="b f11em">（５）妻や娘は夫の言葉を待っている</span>

話題がないなら、娘に対してと同様、「何でも聞くよ」という姿勢を見せるだけでもいいのです。

おそらく、どの妻も

<span class="b green">「もっと話したい、もっと開いてほしい」</span>

と思っているのです。

いちばんそばにいる夫に、「何かキミのことを開かせて」と言われて、うれしくない女性はいないはずです。

妻と少しでも深いコミュニケーションがとれるようになれば、発見もたくさんあるでしょう。

これまで、「食べることとおしゃれにしか興味がない」と思っていた妻が、実は、

「ボランティアに興味をもち勉強をはじめていたこと」

「社会の動きに対していろいろとユニークな意見をもっていること」

そして、いまでもときには少女のように傷ついたり揺れ動いたりしている、ということなどを発見することができます。

夫が、

<span class="b green">「そうか、食べてテレビでも見ていれば満足、と思っていたのは間違いだった」</span>

と気づくころには、見慣れたはずの妻がいきいきとした魅力的で個性的な女性に見えてくるのではないでしょうか。

妻たちは、夫を毛嫌いして、娘や俳優、あるいは不倫相手に依存しているのではないのです。

いちばん向き合いたい相手、コミュニケーションをとりたい相手は、あくまで夫なのです。

同じ家に住んでいるのにわかってもらえない…。

そんな絶望的な孤独に妻たちを追い込んでいるのは、ほかでもない夫である男性たちなのだ、ということをわかってほしいのです。

妻は、夫（あなた）が自分を見てくれるのを待っています。

そして、娘も自分の父親と母親がしっかりコミュニケーションを取り合い、理解し合ってほしい、と願っているのです。

両親がお互いを個人として尊重し、慈しみ合っている姿を見れば、娘はその雰囲気のなかで安心し、自然と父親にも心を開くことは間違いありません。

妻や娘たちがほしいのはお金でも洋服でもなく、父親であるあなたのほんの少しの勇気と理解なのです。]]>
      
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   <title>離人症</title>
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   <published>2008-12-28T05:14:16Z</published>
   <updated>2009-06-13T06:24:54Z</updated>
   
   <summary>「現実感」がないってどういうこと？ この「現実感」のない「傍観者感覚」が強まりす...</summary>
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   </author>
         <category term="様々な心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[<h3>「現実感」がないってどういうこと？</h3>


この「現実感」のない「傍観者感覚」が強まりすぎて日常生活にまで支障を来たした状態を、精神医学では<span class="b red">「離人症」</span>と呼びます。

<hr />

<span class="b f11em">▼　「離人症」</span>

離人症の最初の症例は、フランス人の医師クリシャベールが1873年に著した『脳・心臓性神経症』という本に記載されたとされるが、

1911年に離人症という命名を行なったのは哲学者のデュガだといわれる。

この経緯からもわかるように、<span class="b">「私が私である」「この世界は現実である」</span>という自己意識、世界意識が損なわれる離人症は、最初から医師だけでなく哲学者や文学者からも注目された。

<hr />

いま、世界で最も広く使用されている精神医学の診断基準である、米国精神医学会による「精神障害の診断と統計のための手引き（ＤＳＭ）」の最新バージョン（第4版）から、離人症の中核症状である「離人体験」を墓した部分を以下に引用してみましょう。


<span class="italic">
1）自己の精神過程または身体から遊離し、あかたも自分が外部の傍観者　　であるがごとき感情の体験。

2）ロボットとなったような、または夢のなかにいるような感情の体験。</span>


ここでは、離人体験は身体意識と内界意識に限ったものとして説明されています。

しかし、日本の精神医学では伝統的に、「現実感の喪失」「外界との疎隔感」という外界意識の離人体験についても重視して考えることが多か肇たのです。

言い回しはやや難解ですが、日本の精神病理学者である木村敏氏による離人症の定義を以下に紹介しておきましょう。


1）自我とか自己とかいわれるものの変容感ないし空虚感、あるいは消失感。

自己の体験や行動に関する自己所属感ないし能動性意識の喪失。感情の疎隔感ないし消失感。


2）自己の身体を含めた対象知覚界の変容感ないし疎隔感。

対象の実在感の希薄化ないし喪失。

非現実感。美意識、意味意識の消失。


3）時間体験と空間体験の異常。充実感と連続感の喪失。


これだけを読むと、「私が私である」「これが現実である」という人間の精神の根底を支える感覚がすべて崩壊しているようにも思えます。

重要なことは、離人症では知的能力や判断力などは正常に保たれ、

また<span class="b green">「そういう自分は何かがおかしい」</span>という<span class="b red">違和感</span>が強烈に残っているということです。

すなわち、彼らは、自分にも身体にも外界にも「現実感」（リアリティ）を感じられず、すべてのものや出来事との間に一枚、膜ができてしまい、いつも「傍観者」でしかいられないという事態に陥ります。

同時に、そうした事態に対して大きな苦痛や奇妙な感覚を覚えるのです。

言い換えれば、「これが現実だ」というとリヒリした「リアリティ」を感じ取る感覚は鈍麻しているのに、「現実だと感じられないのは異常だ」と感じる感覚はむしろ鋭敏になっているわけです。

このパラドキシカル（逆説的）な感覚も、また離人症者たちの大きな慧だといわれています。


典型的な離人症者の訴えは、以下のような具合です。


<span class="b">「自分というものが感じられないのです」

「いまここで話しているのが本当の自分とは思えない」

「感情というものが生き生きとわいてこない」

「自分の身体が自分のものではないみたい。なんだか操作しながら動いているみたい」

「友だちや家族を見てもだれだかはわかるが、親しみというものがわいてこない。好ききらいもわからない」

「悲しいことや楽しいこともぼーっと見ているだけ。泣いたり笑ったりはできるが、演技しているみたい」

「自分とまわりの間にカーテンがかかっている。自分はその外からしかまわりを見ることができない」

「学校や家で話していても、ドラマや映画のセットにいるみたい」

「いまが夢なのか現実なのか、ピンとこない」

「きれいな景色を見ても絵か写真を見ているみたい。それが現実のものだとは思えない」
「胃の中がからっぼとか足が冷えていることはわかるけど、おなかがすいたな、寒いなといった感じがわいてこない」

「話したり仕事したりしている私を、どこか遠くにいる私がじっと見ている」</span>


ここで、やや専門的になりますが、離人症について、もう少し突っ込んで説明しておきましょう。

離人症は、精神医学的には、<span class="b">「解離性障害」</span>というさらに大きなカテゴリーのなかのひとつに分類されています。

解離性障害そのものについては、若者の「自己のあり方の変化」とも大きくかかわってくることなので、ここでは細かい説明を省きますが、

90年代以降、マスコミを騒がしたいくつかの事件の容疑者の精神鑑定で、この「離人症状などを主体とする解離性障害」という診断が下されるケースが目につくようになりました。

たとえば、神戸の連続児童殺傷事件の少年、西鉄高速バス乗っ取り事件の少年、

また奈良で長女に毒物を点滴していた看護婦の精神鑑定においても、

この診断名が登場したので、ご記憶の方もいるでしょう。


また、2000年5月にバスジャック事件を起こし、ひとりの婦人を殺害した少年の審判では、この精神鑑定の結果が全面的に受け入れられ、

少年は医療少年院に送致されることになりました。

この事件で、報道で伝えられた鑑定結果によると、少年は

<span class="b green">「自分が自分であると思えない感情が持続する解離性障害」</span>

を呈していたとされました。

そして、犯行の直接の原因は、「自分の存在感を確認するため」だったともいわれました。

先にも述べた通り、離人症者は、いずれも、「自分が離人状態にあること」に大きな苦痛を感じています。

<span class="italic">「実感がわかない」「ピンとこない」</span>

と訴えながら、彼らは、

<span class="italic">「実感を手に入れたい」

「これが自分だ、これが現実だと思いたい」</span>

と願い、ときには<span class="b red">あせり</span>を感じているのです。

あるいは、実感や現実感の乏しさを理解してくれる人や場を求めたり、膜のようなもので隔てられたリアルな世界への突破口が見つかる機会を探したりしています。

いま述べたバスジャック事件の容疑者である少年にとっては、いったんはインターネットの世界が「苦しい自分」の受け皿となったようです。


ネットといういわゆるバーチャルな世界で、現実の世界でも手に入らなかった

「自分であること」「これが現実だということ」

の実感を取り戻そうとするというのは、おかしなことに聞こえるかもしれません。

しかし、ネットやゲームの世界こそがある種の熱い感情やとリヒリするほどのリアリティの場になっているというパラドクス（逆説）は、多くの人にとって体験ずみのことなのではないでしょうか。
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   <title>十代の子供たちの凶悪事件について思うこと</title>
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   <published>2008-12-28T02:12:49Z</published>
   <updated>2008-12-28T02:13:46Z</updated>
   
   <summary>昨今は毎月のように十代の子どもたちが、重大な事件を引き起こして、わたくしたちの心...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
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         <category term="子供の心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[昨今は毎月のように十代の子どもたちが、重大な事件を引き起こして、わたくしたちの心を痛めます。

2005年静岡県伊豆の国市で、県立高校1年の女子生徒が母親を劇物のタリウムで殺害しようとしたとされる事件が発覚して世間が騒然となりました。

その直後、今度は、東京都町田市で都立高校1年の女子生徒が同級生の少年に刺し殺されるという事件が起きました。

一方では、高校1年の女子が「加害者」に、他方では「被害者」になった形です。

また、いずれの「加害者」も16歳でした。

17歳、14歳、12歳…と同じ年齢同士の少年少女が偶然にも相次いで事件を起こす傾向がここ数年目立っています。

これからしばらくは「16歳」に注目が集まるのでしょうか。


タリウム事件の「加害者」になった静岡の女子生徒は、典型的な「理系少女」でした。

同級生が男の子やファッションの話題で盛り上がるなかで、彼女は、ひとり化学実験や動物標本づくりに熱中していたといいます。

インターネットで公開していた日記形式のブログでは、自らを<span class="b">「僕」</span>と称し、地方都市で送る高校生活や日常生活への違和感を表明していました。

しかし、これだけで「この少女は異常」と決めつけることはできません。

おそらく少女はすべてが定式化、法則化された科学の世界を純粋で美しいものと感じ、異性とおしゃれのことしか頭にないような同級生たちやお金や人間関係のことで頭がいっぱいの母親世代の女性たちの<span class="b">「女性性」</span>と<span class="b">「世俗性」</span>に対して<span class="b red">激しい嫌悪感</span>を抱いていたはずです。

第二次性徴を迎える年ごろの少女は、自分もその「醜い女性」に一歩一歩近づいていることに並々ならぬ恐怖を感じていたのではないでしょうか。

そういう少女が、自分を「僕」と言ったり、女性らしい服装を拒んだりすることはめずらしくないでしょう。

<span class="italic">「ぶよぶよした醜い身体になりたくない」</span>

とくに身体的な女性性を拒否する拒食症の患者には、理系の課目や爬虫類や鉱物など、

<span class="underline">なるべく非人間的な対象やかりそめの趣味を偏愛する人</span>も少なくありません。

しかも、少女が住んでいたのは、地方のあまり大きくない都市です。

大都会なら彼女の晴好を満足させてくれる書店や美術館もあったであろうし、「理系好き」という個性を尊敬してくれる同級生もいたかもしれません。

たとえ、いずれも手に入らなかったとしても、せめて「あの子って変わり者」といった好奇の視線を逃れて、匿名のだれかとして図書館や映画館にこもることもできたかもしれません。

ところが、現実の少女はどこにも逃れることができませんでした。

体育祭の応援に行ったり、プール学習に参加しなければならなかったのです。

それは彼女にとって<span class="b red">相当にしんどいこと</span>ではなかったかと思われます。


<h3>母親に対する少女の感情を探る</h3>


少女にとって「世俗性」「女性性」の象徴が、自分の母親だったに違いありません。

少女の母親は、報道されているところによると「ごくふつうの人」でした。

近くの大型スーパーの衣料品売り場に勤め、持ち前の社交的な性格で販売員としての手腕を発揮していたといいます。

いわゆる「地に足のついた等身大の生活」を送る母親に対して、少女はどんな感情を抱いていたのでしょうか。

これは、私の想像でしかないのですが、

少女の心の中には、自分にはない社交性や現実感覚を持ち合わせ、日常生活をうまく送ることができる<span class="b">母親への羨望</span>があったと考えられます。

一方で、その世俗性への軽蔑や憎悪があり、そして同時に自分もその母親の娘なのだからいつかは同様の道を歩むのではないか、という<span class="b">恐怖</span>が混在していたのではないでしょうか。

もし、そうであるなら、少女にとって「母親殺し」とは、自分にも内在しているかもしれない「世俗性」「女性性」を根絶やしにするという意味をもっていたはずだ、と考えられます。

なぜこのような推測が可能なのでしょうか。

世間で話題の拒食症に代表されるように、同じような悩みや葛藤、そこから派生する症状を抱えて精神クリニックなどに訪れる若い女性が少なくないからです。

娘にとって、母親はいちばん身近な女性であるとともに、同時に「すでに結婚、出産を経験している」という決定的な事実によって、ほとんど絶対といっていいほど乗り越えられない存在です。

たとえば、思春期になって娘が<span class="b green">「お父さんなんて汚くてきらい！」</span>と言うようになり、母親が、<span class="b green">「本当よね、イヤね」</span>と友だちのように同調してくれたとしても、

その途中で娘は、「でもお母さんはそのお父さんとセックスして、私が生まれたんだ」という否定しょうもない事実に気づかされます。

従来の図式であれば、そこで娘も

<span class="b green">「私もいつかお母さんにとってのお父さんみたいな男性と巡り合いたいな」</span>

と自らの女性性と自立に目覚めることになるはずですが、いまは違います。


<span class="b green">「お母さんは私を裏切ったんだ」

「私は絶対にお母さんのようにはなりたくない」</span>


といつまでも母親をめぐる執着がつづき、なかなか「私もいつか…」と自分の将来への展望につながりにくいのです。


<h3>「母の女性性」の否定がなぜ他に向かうのか</h3>


とはいえ、静岡の少女はまだ16歳なのですから、「ふつうの女性」として現実的な生活を送る母親の存在を認め、自分のなかにもある母と同じ要素を受け入れるというのは、彼女が若すぎるために無理な話でしょう。

しかし、そこでもなお残る疑問は、「母親的な世俗性、女性性を根絶やしにしたい」という気持ちが、なぜ自分ではなくて母親という他者に向かったか、ということです。


精神科クリニックにも、同様の葛藤を抱えた患者さんが多数訪れます。

<span class="b red">ただし、彼女たちの場合は、その葛藤は、自分への攻撃や「症状」として出現するケースが多いのです。</span>

拒食症者にしても、「母親の作った食事なんて食べたくない」といった程度の反発を示す人はいますが、いずれにしても「健康を害するほど体重を落とすこと」の被害は、他者ではなくて自分に対して及ぼされるものです。

また、なかには、

<span class="b green">「このまま母親のようになっていくくらいなら、ここで人生を終わりにしたはうがいい」</span>

と自殺未遂をする人、あるいは、

<span class="b green">「こんな自分をこのままいさせるわけにはいかない」</span>

と自らを罰するかのように自傷行為を繰り返す人もいます。

この人たちにしても、そこに至るまでのプロセスには、静岡の少女とおそらくはあまり違いはないのではないかと思われます。


世俗や打算を軽蔑し、独特のスタイルに純粋さや美を感じ、そんな自分がまわりから浮いていることに、孤独感と劣等感、そして優越感を抱く…。

乱暴な言い方をすれば、これらは理系少女、拒食症やリストカット、さらには<span class="b blue">「ゴスロリ」</span>などにも共通する心理なのかもしれません。

<hr />

<span class="b f11em">「ゴスロリ」</span>

「ゴシック・ロリータ」の略。

12世紀半ばフランスで生まれたゴシック建築と、ロシアｌ第1章ｌ事件を起こした少女の心のうちの作家「ウラジミール・ナボコフ」が書いた「ロリータ」（≦ａｄｉｍ肯2註ＯｋＯく「ＬＯ詳ａ二を合成した言葉。

作者が念頭においた少女の年齢は、おおよそ10歳（最長14歳）。

この言葉は、アメリカでは、「ガール・チャイルド」と呼ばれるファッションのようだ。
<hr />



<h3>彼女は「自分を消したい」と考えていたはずなのに…</h3>


彼女たちは、いずれも多かれ少なかれ、周囲との違和感に苦しみ、「どこかに行きたい」「自分を変えたい、消したい」と思っています。

それなのに、なぜ静岡の少女だけが、自分ではなく母親を消してしまおうと思ったのでしょうか。

ある段階まで、こうした少女の心は、これまでの青年期心理学や臨床での経験から解釈可能です。

その年ごろでは、それほどめずらしいケースともいえないのです。

しかし、その「落としどこる」（ゆきつくところ）がどうしても説明できないのです。


実は、こういう事件は、今回がはじめてではありません。

たとえば、2003年11月1日未明、大阪の河内長野市で18歳の大学1年生の男性が家族を次々に包丁で刺しました。

母親は、死亡、父親と弟も重症を負うという家族殺傷事件が起きました。

この事件は、その後の調べで、大学生は交際中の16歳高校1年生の少女とともにそれぞれの家族の殺害を計画したとのことです。

さらに率先して計画を練ったのは少女の側であったことが明らかになりました。


ふたりは、ふだんから「ゴスロリ」ファッションで身を固めてデートしている姿が目撃されていました。

そのためこの事件は「ゴスロリ殺人事件」などとも呼ばれました。

ふたりがなぜ家族を殺そうとしたのか、それは、それぞれの供述に微妙な違いもあるといわれていますが、

報道されているところによると、少年は

<span class="italic">「家族を殺して少女と一緒に暮らした後、一緒に死のうと思った」</span>

と言いました。

一方の少女は、

<span class="italic">「ふたりきりの場がほしかった。

互いの両親を殺してそのうちふたりで死ぬつもりだった」</span>

と述べたといいます。

妙なことに、ふたりの交際は周囲から反対されていたわけではなかったようです。

またなぜ心中しなければならないのかもさだかではありません。

ただし、この少女もまたホームページを開設しており、そこにリストカットの写真や死へのあこがれをつづった文章が掲載されていました。

ここに見えるものは、やや風変わりな趣味をもった男女が恋愛関係で、<span class="underline">強烈な「ふたりだけの世界」</span>ができあがっていたのです。

これは、<span class="b green">「俗人には理解してもらえない」「まわりの人間はバカで汚い」</span>と孤立感を強めていたのです。

その果てに、
<span class="b green">「ふたりだけで暮らしたい」</span>と思い、さらには、<span class="b red">「いっそふたりだけで死の世界に旅立ちたい」</span>と思うようになったのです。

なぜ「家族」に手をかけるようになったのか　「ふたりだけでいたい」、こういう心理に至った若い男女は、昔からいくらでもいるはずです。

しかし、やはり理解できないのは、そこから、「家族を殺す」という着地点になぜたどり着いたのかということです。

途中までは、よくある思春期の心性として理解できます。

ただし、その「殺す」という暴力的な結論だけが理解不能です。


その意味では、町田市の事件もまったく同じです。

明るく人気者の同級生にひそかに思いを寄せる男子生徒。

ところが、女子生徒のまわりに集まるのは社交的で目立つ子たちであり、やや内向的でコミュニケーションをとるのが苦手な男子生徒が近づく余地はありません。

そういう男子が教室や廊下の片すみから、じっと少女を中心としたグループを見つめる…といった構図は、これまでもマンガやドラマにいくらでもあったはずです。

あるいは、状況に絶望して落ち込んだり生きる意欲を失ったりする場合もあるかもしれないし、「死ぬくらいなら」と勇気を振りしぼって気持ちを伝える場合もあるかもしれません。

しかし、16歳の少年が選んだのは、そのいずれでもなかったのです。

少年がいつ犯行を思い立ったのか、計画的であったのか、衝動的であったのかはまだわかっていません。

ただ、少年が被害者の少女に対して気持ちを告白したり、ストーカー行為を繰り返したりしていたような形跡はありません。

おそらく「好きなのにうまく伝えられない」もどかしい気持ちで長い時間をすごし、そんなある日「なんとかしよう」と思いついたことが<span class="b red">「好きな相手を殺すこと」</span>であったのかもしれません。


これまで、児童精神医学では、

<span class="b">「親殺しのファンタジーをもつことと、実際に殺すことの間には絶対的な違いがある」</span>とされてきました。

たとえ面接の場面で　「お母さんを殺したい」といった話が出たとしても、治療者はそれを実際の殺人予告ととらえることはなかったのです。

むしろ、そのファンタジーをきちんと膨らまさせて、ひとつの物語を完結させるところまでもっていくことが「カタルシス効果」につながる、と考えていた精神科医も少なくなかったのです。


<h3>先行きが見えず、現実に対応できない状態に陥る</h3>


ところが静岡の女子高生はブログで十分にファンタジーを語ることができていたにもかかわらず、そこで満足することはなく、母親への毒物投与が行なわれました。

また、町田の男子生徒は、そのファンタジーを語るコミュニケーション能力も乏しいまま、思いつきの「殺意」の萌芽をそのまま実行に移したのです。

ここには、「考えることと実行することとの間には大きな違いがある」という原則が、いまや通じなくなりつつあるのです。

ではなぜ、途中までは「よくある少年期の悩み」をもっていただけであったはずの彼らが、自分ではなくて他者を突然、攻撃するという予想もできないような行動に着地するのでしょうか。

また、ファンタジーとして「こうだったら」と考えたことを、そっくりそのまま現実にシフトさせてしまおうとするのでしょうか。

もちろん明確な答えがあるわけではないのですが、いろいろなケースを見ながら感じるのは、<span class="underline">何らかの理由で現実にうまく適応できない子が「ここではないどこかに行けば、なんとかなるかもしれない」と別の場所や未来に期待しうらくなっている、ということです。</span>

すなわち行き場を失い、行き詰まっている状態になっているわけです。

たとえば、静岡の女子生徒にしても、いま住んでいる地方都市では現実的な母親とも世俗的な同級生ともしっくりこなかったわけです。

だとするならば、

「いつかこの町を離れて理系の大学に行けば、私と話が合う友だちができるはずだ」

「日本じゃダメでも外国に行けば、雑音のないところで化学に没頭できるに違いない」

と未来に希望を託す方法も、十分考えられたはずです。

ところが彼女に限らず、問題を起こしかけている彼らは「いつかどこかで」と先を夢見るのが非常に不得意なのです。


これには、いくつかの理由があると思います。

まず、考えられるのは、


<span class="b f11em">本人自身に遠い場所や未来を想像する能力が低いのではないかということです。</span>

しかし、私の経験で言えば、診察室での会話などを開いているかぎり、こうした子たちに想像力やコミュニケーション能力が一般の子より劣っているとはとても考えられません。

ですからこれは決定的な理由にはならないかもしれません。

次に考えられることは、

<span class="b f11em">情報量が多すぎるということです。</span>

現実に適応できない少年少女は、どうしてもネットの世界に耽溺しがちになる場合が多いようですが、そこには、

<span class="italic">「東京に行ったところで目立つ子だけがチヤホヤされる現実はいっしょ」

「ロンドンの大学に留学しても純粋に学問に打ち込む学生は少ない」</span>

など、夢を見ようにも見られないような<span class="b red">ネガティブな情報</span>があふれています。

そこで、<span class="b red">「どこに行っても結局いっしょなんだ」</span>と未来を夢見ることをあきらめてしまう子も、いるのではないでしょうか。

そして、もっとも重要な理由だと私が考えているのが、

<span class="b f11em">社会全体が少数派の人たちに対して　「いつかどこかで」を想像させるだけの余裕を失っていることです。</span>

「個性が大切」と口では言いながら、異性の目を意識して「モテるスタイル」をした人だけに人気が集中しているわけです。

「お金や名声だけが大切じゃない」と言いながら、女優や女子アナが結婚するのはＩＴ長者やプロ野球選手ばかりという事実もあります。

「社会の流れに背を向けた少数派がカッコイイ」といった価値観は、いまは昔の話です。

興味がなくてもだれもがネット株取引をやっているようなフリをしなければならないのが現在の情況です。

とくに他人の目が気になる若い人たちは、よほど強い意志をもっていない限り、

<span class="b green">「私はほかの人たちとは違うけれど、いつかわかってもらえるときがくるだろう」</span>

とマイペースをつづけることはできないでしょう。


<span class="italic">「自分をわかってもらえない。

モテない。

ギャグを飛ばすことができない。

親や先生としっくりこない。

住んでいる町がきらい」。</span>


そういう悩みを抱えた若者たちに、私は言いたいのです。


<span class="b blue">いま、うまくいかないからといって、イライラやあせりを衝動的に他者や自分に向けないではしいのです。</span>

「ここではないどこか」「いまではないいつか」にかすかでもいいから希望を託して、いまをしのいでもらいたいのです。

とはいえ、社会全体がこの先、より自由でより風通しのよいところになっていくという期待がもちにくいのは事実です。

そうしたいま、若い人にだけ「未来に希望を託せ」とは言いにくいのも事実です。

「大丈夫、あなたの未来はきっと明るい」と言ってもらいたいのは、若者や子どもではなくておとなのほうなのかもしれないのです。]]>
      
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   <title>強迫性障害の治療</title>
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   <published>2008-10-17T02:33:17Z</published>
   <updated>2008-10-17T04:19:32Z</updated>
   
   <summary>強迫性障害は現在、治療可能な病気といいましたが、具体的な治療はどうするのかをお話...</summary>
   <author>
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   </author>
         <category term="心の病気の症状強迫性障害" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      強迫性障害は現在、治療可能な病気といいましたが、具体的な治療はどうするのかをお話しします。

20年ほど前には、強迫性障害は治療が困難な精神疾患でした。それがＳＳＲＩ（選択的セロトニン再取り込み阻害剤。）の出現によって、以前とは比較にならないほど症状の改善が期待できるようになりました。

ＳＳＲＩはうつ病の薬なのですが、強迫性障害にもセロトニンが関与しているために有効ではないかとされています。

ＳＳＲＩは完壁に症状を除去するほどではないけれど、がまんできる程度までには症状を減じることが可能なのではと考えています。

そして強迫行為そのものを減らすというよりも、強迫観念を和らげる方向に働いていると感じています。

いずれにせよ、薬はある程度は有効なのですから、試す価値は十二分にあることを周囲の人にはもちろん、本人にも認識してほしいと私は思っています。

ＳＳＲＩは、効果が発現するまでに、およそ1か月程度要します。
薬を飲んでもなんにも変わらないといって薬をやめてしまわないようにしてください。

さらにＳＳＲＩの服用初期に吐き気、眠気が強く出ることもあります。

どうしても飲めないときは仕方がないのですが、がまんできるならば効果が現れるまで飲み続けるべきです。

そうしないと副作用だけ出て、効果がないということになってしまってもったいないと思います。

もうひとつ注意したいのは、症状が和らいできたからといって、勝手に薬を中断しないことです。

ＳＳＲＩは急な断薬で以前にも増して症状が悪化してしまうこともあるし、断薬によってふらつきなどの自律神経症状が出現することもあるからです。

もちろんすべての人がこうなるわけではないのですが、約1年は服用を続けることが望ましいとされていますし、医師と相談しながら減薬、断薬することが必要です。


ＳＳＲＩ以外の治療としては行動療法があります。これはかなりの根気と本人のやる気、努力が必要です。

具体的には自分自身の強迫行為を列挙し、その中で自分が行為を減らすことができそうなところからはじめていきます。

たとえば数ある強迫行為の中で自分で減らしていくことが可能だと思えること、それがシャワーの回数であれば、1日10回を9回に、それができれば9回を8回にというように実践していくのです。

それが可能になればさらに強迫行為の種類と数を減らす範囲を広げていけばよいのです。
しかし、これはそう簡単にはできません。

行動療法には周囲の人の理解と援助が欠かせないのです。

また周囲の人は、彼らの強迫行為を強めるようなことはやめるべきです。

たとえば、これをすれば本人が安心するからということで、周囲の人がそのとおりにしても、一時的にはうまくいったように見えて、結局はうまくいきません。

強迫性障害を克服するのは、なかなかむずかしいのですが、病気を安易に考えず、医師、本人、周囲の人との協力で治していくという姿勢が求められます。
      
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   <title>治療に健康保険は適用されるのか</title>
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   <published>2008-10-15T22:05:06Z</published>
   <updated>2008-10-15T22:45:27Z</updated>
   
   <summary>特殊な治療以外は健康保険が通用されます。 だいたい初診時は1万円前後、通院では3...</summary>
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         <category term="心の病気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      特殊な治療以外は健康保険が通用されます。
だいたい初診時は1万円前後、通院では3000円〜5000円を目安にするといいでしょう。
カウンセリングに関しては、医師が精神療法として行う場合は健康保険が適用されます。
しかし、民間のカウンセラーや心理療法士が医師の診察なしに独自に行うときは適用されません。
      
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   <title>「うつ」の人にどう接すればいいのか</title>
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   <published>2008-10-15T00:32:22Z</published>
   <updated>2009-06-29T02:12:14Z</updated>
   
   <summary>うつ病は「心のかぜ」などといわれるように、基本的に短期間に回復する疾病であると考...</summary>
   <author>
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         <category term="うつ病" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[うつ病は「心のかぜ」などといわれるように、基本的に短期間に回復する疾病であると考えられています。

たしかに多くのうつ病は数か月（おおむね3か月以内）に回復する経過をとります。

しかし2割から3割、つまり4人か5人にひとりは3か月以内に回復せず、その結果、日常生活、社会生活に多大な損失をこうむることになります。

さらに、うつ病の長期経過についての最新の研究でも、2年以上「うつ」が続く人が13％〜21％もあるとされているのです。

これは一般に考えられているより深刻な事態です。

「うつ」を簡単に「心のかぜ」と安易に考えることは危険です。
うつ」の人にとって再発は、初回よりもさらに辛さが増すことが多く、やっと治って以前の生活に近づいてきたなと思った矢先に、また絶望のどん底に叩き落とされてしまうのです。

「うつ」はかぜと違って、なかなか周囲の理解が得られません。
かぜならどんなにひどくても4、5日休めば、以前となんら変わりなく回復し、もとの生活に戻っていくことができます。

しかし「うつ」の場合、外見上、なんら問題はなく、外出などもできるために、怠けていると思われてしまうのです。

これは「うつ」の人にとって病気自体の辛さに加えて周囲の無理解という二重苦を背負わされているのと同じです。

そして半年以上も仕事もせずに過ごしていると、「うつ」の人はしだいに世間から孤立し、よけいに病状の長期化を招いてしまうという悪循環に陥ってしまうのです。



<ul class="topics">

<li><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4344014189/hatena-b-22/ref=nosim" target="_blank">テキストリンク</a></li>

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<li><a href="http://nmd.hiropiro.com/archives.html" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.ohhori.com/depression/" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://allabout.co.jp/health/mentalillness/closeup/CU20060313A/index.htm" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://diamond.jp/series/izumiya/10001/" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090105/p1" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20080430/300406/" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://japan.zdnet.com/sp/feature/08mental/story/0,3800086250,20373588,00.htm" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.afpbb.com/article/life-culture/health/2567349/3750964" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.endokoro.com/libra/v_article011.html" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://blog.m3.com/moromoro/20080429/1" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://diamond.jp/series/depress/10020/" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://anond.hatelabo.jp/20090328180552" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.utsu-byou.net/" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://utu.da-te.jp/e104965.html" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/488399614X?tag=hatena-b-22" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://orthomolecule.jugem.jp/?eid=641" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/kinghuradance/20070905/p1" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://kokoro.squares.net/psyqa1383.html" target="_blank">テキストリンク</a></li>

<li><a href="http://diamond.jp/series/depress/10017/?page=3" target="_blank">テキストリンク</a></li>

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   <title>薬は飲み続けなければいけないのか</title>
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   <published>2008-10-13T16:20:28Z</published>
   <updated>2008-10-13T16:38:11Z</updated>
   
   <summary>ごく軽症の場合、精神療法だけで治療を行うケースもあります。 しかし、精神療法だけ...</summary>
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         <category term="心の病気について" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      ごく軽症の場合、精神療法だけで治療を行うケースもあります。

しかし、精神療法だけでいくか、薬物療法も必要かなどは、病気の種類や病状によって違います。

今は副作用も少ない薬がたくさん出ています。

最初から薬物療法を拒否するのではなく、主治医の指示に従うようにしてください。

どれくらいの期間、薬を飲み続けなければならないかは、病気の種類や症状によって異なります。

本人が「すっかりよくなった」と思っても、病気が完全に治っていない場合があります。
この状態で薬の服用をやめれば、再び病気が悪化してしまいます。統合失調症や大うつ病性障害（うつ病）、双極性障害などのように、再発防止のために回復後も薬をある程度の期間飲み続けることもあります。

また、急に服用量を減らすと離脱（禁断）症状があらわれる薬もあります。薬をいつまで飲むかは主治医とよく話し合って決めましょう。
      
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   <title>なにもしたくない</title>
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   <published>2008-10-13T01:17:56Z</published>
   <updated>2008-10-13T02:12:04Z</updated>
   
   <summary>以前はそうではなかったのに、急になにもしたくないと思うようになり、それが2週間以...</summary>
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      以前はそうではなかったのに、急になにもしたくないと思うようになり、それが2週間以上続く場合は、気をつけましょう。
会社や学校を休む、仕事の作業能率が著しく低下する、好きだったことに対して興味を覚えなくなりやる気が失せる、というときは、心の病気が疑われます。

からだが重く、強い疲労感があってなにもしたくない、というときも要注意です。一方、時間が経つにつれてやる気が出てくるような場合は、特に問題はないでしょう。

体調が悪いときや疲れているとき、大変な仕事を終えてホツとしているときなどは、だれでもひと休みしたくなるものです。

十分に休養を取れば、以前と同じようにやる気が沸いてくるはずです。
      
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   <title>強迫性障害（強迫神経症）</title>
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   <published>2008-10-11T15:59:45Z</published>
   <updated>2008-10-11T16:22:01Z</updated>
   
   <summary>ある考え（強迫観念）や行為（強迫行為）にとらわれて、どうしてもやめられずに苦しむ...</summary>
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         <category term="様々な心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[ある考え（強迫観念）や行為（強迫行為）にとらわれて、どうしてもやめられずに苦しむ病気です。以前は強迫神経症と呼ばれていたもので、不安障害に分類されています。患者の約3分の2は25歳以前に発症します。

思春期では男性の方がかかりやすいのですが、成人になると男女差はありません。社会人になって発症する女性も少なくありません。
大うつ病性障害（うつ病）、社会恐怖、摂食障害などの合併も多く見られます。


繰り返し頭に浮かぶ不愉快な想念を「強迫観念」、やめたくてもやめることができない行為を「強迫行為」といいます。

これらふたつの両方、あるいはどちらかにとらわれて、自分でもおかしいと思っているのにどうしてもやめることができない病気が強迫性障害です。半数以上が突然発症します。
強迫観念で最も多いのは、「不潔」「汚れる」「ウイルスが付く」など汚染に対するものです。

<span class="b green">「悪いことが起こるのではないか」「人に危害を加えてしまうのではないか」</span>という考えにとらわれる場合もよくあります。

強迫行為で多いのは、「手を洗い続ける」「数を数える」「戸閉まりを何度も確認する」「対称性や正確さにこだわり何時間もかけて直す」などです。

これらの強迫観念、強迫行為の両方が見られる患者が圧倒的に多く、全体の約75％を占めています。

強迫観念は不安を強くしますが、強迫行為をすると不安が和らぎます。
よく見られるケースでは、汚染に対する強迫観念があり、それに対する不安を抑えるために手洗いという強迫行為があらわれます。

強迫行為（この場合は手洗い）をしていると不安が和らぎますが、それをしないでいると不安がつのってきます。

自分の考えや行動が異常だということを、本人は十分にわかつています′　しカＬと、つしてもやめられず、そのために時間が浪費され、仕事や学業の妨げになり、人間関係にも影響が出てきます。

<h3>完ぺき主義の人が発祥しやすい</h3>

セロトニン（神経伝達物質）の調節障害や、脳の一部分の代謝や血流の克進異常など、さまざまな仮説がたてられています。

遺伝的要素を指摘する声や、自分では認めたくない不安や心の葛藤を強迫観念、強迫行為にすりかえているという精神分析の考え方などもあります。

ただ、はっきりとした原因は解明されていません。

以前は親のしつけが厳しすぎたのが原因といわれていましたが、現在ではその説は否定されています。

また、次のようなタイプの人は強迫性障害を発症しやすいといわれています。
何事も完璧にしなければ気がすまない人、規則や秩序にとらわれがちの人、細部にこだわり全体を把握するのが苦手な人、真面目で理想主義の人、がんこで融通のきかない人、優柔不断な人、仕事人間で生産性にこだわる人、形式主義の人などです。

まずは、強迫観念、強迫行為の両方、あるいはどちらかがあるかを見極めることです。通常、1日に1時間以上、強迫観念、強迫行為があります。

さらに本人もこれらが不合理だと認識しており、そのために強い苦痛を感じ、時間を浪費している、あるいは日常生活や人間関係などに支障をきたしている場合に、強迫怪障害と診断されます。

時々手が汚れているように思う、かぎのかけ忘れが気になる、といった程度では、病気とまではいきません。

<h3>強迫性障害の治療法</h3>

治療は薬物療法と精神療法を併用します。

強迫行為の儀式や不安が耐えられないほど強くなってきたときは、入院の手段を取ることもあります。

精神療法は行動療法が中心です。
薬物療法と同様の効果があって、しかもより長期間持続することが報告されています。

なかでも最も効果的だといわれているのは暴露療法で、苦痛を感じる対象や状況に段階を踏んで接することで症状を改善します。

たとえば汚染に対する強迫観念がある患者には、わざと手を汚してもらい、おそれている状況にあえて接してもらいます。

また、支持的精神療法も有効です。

患者本人が自分で問題に対処できるように治療者がサポートする方法です。

特に、仕事ができて社会的適応が可能な患者には意味があるといわれています。

本人もやめたいと思っているのにやめられなくて苦しんでいる病気です。
<span class="b green">「くだらないことはさっさとやめなさい」「いい加減にしなさい」</span>などと叱るのは逆効果です。

患者のなかには、薬の服用や行動療法の実行を拒否する人もいます。]]>
      
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   <title>うつ病治療に認知療法</title>
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   <published>2008-10-10T16:26:22Z</published>
   <updated>2009-06-15T09:47:41Z</updated>
   
   <summary>仮に私自身が「うつ」になったとしたら、自分に合った薬を見つけて服用することが重要...</summary>
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      仮に私自身が「うつ」になったとしたら、自分に合った薬を見つけて服用することが重要なのですが、それと同じぐらいに認知療法を身につけることも大切なことだと考えています。

認知療法とは簡単にいえば、「うつ」の人のマイナス思考、悲観的考え方を修正するスキルのことです。

私は思うのですが、物事はその見方によって、気分がマイナスにもプラスにもなります。


「うつ」の人はすべての事柄を悲観的に、それも極端にマイナスに考えてしまうのです。しかし、実際は「うつ」の思考の歪みによって、極端に負の方向に歪曲されています。

そのことに「うつ」の人はまったく気がつきません。
さらにこの歪曲が完全に固定化されてしまうと、「視野狭窄」に陥ってしまい、「自殺」の危険性が高まります。

したがって認知療法をマスターすることは自殺を予防することにもなるのです。

実際の臨床場面では、「うつ」が極限の時期にあり、考える力がなくなっているときに認知療法を理解して実践することは非常に困難です。

むしろ認知療法は　「うつ」の再発を防ぎ、日常の生活を楽しむために用いるのがよいと私は考えています。

「うつ」の人はついつい悲観的な考えになってしまうので、それをより現実的な考えに修正するのです。

そうできれば自殺は遠いものになるだけでなく、日々の暮らしも明るいものになっていくのです。

      
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   <title>人に会いたくない</title>
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   <published>2008-10-09T23:45:12Z</published>
   <updated>2008-10-10T00:11:20Z</updated>
   
   <summary>今までは人に会うのが苦にならなかったのに急に会いたくなくなった、もと　もと人見知...</summary>
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         <category term="心の病気の症状" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[今までは人に会うのが苦にならなかったのに急に会いたくなくなった、もと　もと人見知りだったが、その傾向が一層強くなった、というときなどは、まず　はなにが原因かを考えてみましょう。

友達とけんかした、裏切られたなどの理由がある場合は、それほど心配することはありません。

一時的な人間不信で、時間が経てば<span class="b geen">「人に会いたくない」</span>という気持ちが消失することと思います。

しかし、特に理由が思い当たらず、<span class="b geen">「人に会いたくない」</span>という気持ちが何か　月も続くときは要注意です。

人に会うと心臓がドキドキして息苦しくなる・落ち着かない、汗がドッと出　るなどの身体症状をともなう場合や、人に会うことが怖くて外出ができない、人混みに出かけられないなどという場合は、精神科などの医療機関を早めに受診するべきです。]]>
      
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   <title>心身症</title>
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   <published>2008-10-09T11:28:44Z</published>
   <updated>2008-10-09T11:43:21Z</updated>
   
   <summary>特定の病気や症状を指す名称ではありません。 心理的なストレスによって、身体疾患が...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://emotional-ailment.y-ads.jp/">
      <![CDATA[特定の病気や症状を指す名称ではありません。
心理的なストレスによって、身体疾患が生じたり、もともとある病気が悪化したりすることをいいます。

異常はどの器官にも起こる可能性があります。

よくみられる身体疾患は、本態性高血圧症、本態性低血圧症、狭心症、気管支ぜんそく、胃・十二指腸潰瘍、潰瘍性大腸炎、過敏性腸症候群、甲状腺機能亢進症、肥満症、円形脱毛症などがあります。

女性に特に多いのは月経前症候群（ＰＭＳ）、過換気（過呼吸）症候群、片頭痛、メニエール症候群、突発性難聴、アトピー性皮膚炎などです。

<h3>ストレスによって発症する</h3>

ストレスが自律神経系や内分泌系、免疫系の働きに影響を与えて、身体的な障害が出ると考えられています。

ストレスの感受性が弱い人は発症しにくい傾向があります。


患者がストレスに対して適切に対処できるようになれば、経過も順調で再発も予防できます。

家族はそれをサポートする気持ちで、リラックスできる環境を整え、叱咤激励をせずに、温かく接することが大事です。]]>
      
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   <title>摂食障害</title>
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   <published>2008-10-08T06:14:45Z</published>
   <updated>2008-10-08T06:44:36Z</updated>
   
   <summary>食べ物を受け付けなくなる拒食症（神経性無食欲症）、食事量が異常に増える過食症（神...</summary>
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         <category term="様々な心の病気" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
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      <![CDATA[食べ物を受け付けなくなる拒食症（神経性無食欲症）、食事量が異常に増える過食症（神経性大食症）をあわせて摂食障害といいます。

拒食と過食は一見正反対の行動にみえますが、どちらも強烈なやせ願望のあらわれです。
若い女性に起こりやすく、特に小学校高学年から高校生に多く見られます。

ダイエットブームから急増する傾向にありますが、特に拒食症は、重くなると死に至るケースもあるので注意が必要です。

拒食症の経過中に過食発作が起こり、拒食と過食を繰り返すケースが一般的です。最近は拒食傾向がなく、過食のみを繰り返す人が非常に増えています。

<span class="b">拒食症</span>
太ることを嫌がり、体重の増加を極端に恐れて、ほとんど食べません。たえず体重を気にして、太ももやからだの部分にこだわります。

極端な減食やカロリー制限から栄養失調になり、貧血や無月経、低体温、内臓障害などを起こしますが、本人は太っているといい張り、さらにやせようとします。

行動はきわめて活発で、少しもじっとしていない状態になることもあります。

<span class="b">過食症</span>
発作的に、異常に食事量が増えます。短時間に大量の食べ物を胃のなかへ流し込むように入れ、特に甘いものを食べようとします。

暴食の直後、絶食や激しい運動をしたり、食べたものを吐き出そうと指を口に突っ込んだり、下剤や利尿剤で体重を減らそうとすることもしばしばあります。

激しい自責の念にかられ、うつ状態になるケースもあります。ダイエットがきっかけで発症することがほとんどです。過度の食事制限から拒食症になります。

そして過剰な食事制限に耐え切れなくなって発作的に過食になり、拒食と過食を繰り返します。

しかし最近は、はっきりとした拒食の経歴がなく、暴食から過食症に発展するケースが増えています。

感情のコントロールができないのが原因で、不安や孤独感、憂うつな気分を過食で晴らそうというのです。

セロトニンやノルアドレナリン、エンドルフィンなどの脳内物質が関係しているという指摘もあります。

また、思春期には、大人になることへの不安、性への恐れ、支配的な母親に対する反発、周囲からの孤独感、対人関係のストレスなど、心の葛藤が拒食症となってあらわれるケースがよくみられます。

<h3>摂食障害の治療</h3>

拒食症は悪化すると、命に関わります。すぐに入院させ、点滴による栄養補給が必要です。

自分の体型や体重に対して誤った認識があるので、その認識のゆがみを是正するための認知行動療法も行います。

支持的精神療法、家族療法なども行われ、青春期の問題の解決をはかり、原因を除いて食行動の正常化をめざします。過食は感情の起伏が激しいことから起こるので、ストレスと人格的な問題に焦点があてられ、精神療法が行われます。



拒食症の場合はやせ衰えているにもかかわらず活発に動き回り、本人は病気だと思っていないことがほとんどです。

そのため治療意欲に欠けることが多く、家族の理解と協力が最も大事になります。

拒食、過食そのものよりも、本人の心理状態や感情に十分配慮してください。

また、拒食症は死亡の危険もある病気だということを、患者に理解させ、治療意識を高めるようにしましょう。

拒食症の人に対して食事を強制する、また過食症の人に対して食べ物を隠す、といった行為は逆効果になる恐れがあるので、やめてください。

拒食、過食どちらも自殺の可能性があるので注意が必要です。

拒食症の場合は栄養失調を起こし、放っておけば死に至ります。
また、過食症は大うつ病性障害（うつ病）を併発するケースも少なくありません。]]>
      
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