「現実感」を取り戻す方法は…、
いま、若い人たちに流行のタトゥー(刺青)やピアッシング(皮膚剥離)で自らの身体に傷をつける人たちにも、「リアリティの取り戻し」の欲望を感じることがあります。
もちろん、彼らの目的は、ファッション性にあります。
しかし、皮膚にかなり深い傷をつけて療痕化させる「スカリフィケーシヨン」やいわゆる焼き印である「ブランディング」になると、
できあがったときの模様などより身体を切り刻んだり焼いたりすることのほうに重点があるのではないか、と思えてきます。
そうなると、「切った瞬間の痛みや出血で『私は生きている』と実感できる」と手首や上腕をカミソリなどで切る、自殺を目的としない「リストカット症候群」の人たちとの境界もあっという間に不鮮明になってしまいます。
臍や性器など、ふだんは人目につかない場所に「ピアッシング」(穴をあける)をする若い女性のインタヴューの記事を読んだことがあります。
彼女は、次のように言っています。
「私はだれかに見せるためにピアスをしているのではない。
だれからも見えなくても、おへそやあそこにピアスしているといつもその部分を意識していられる。
そのためにやっているの」
彼女もまた、ピアスでつなぎとめることでかろうじて「自分が自分であること」の実感を得ているのかもしれません。
逆にそうでもしなければ、自分の感覚、身体の感覚は、あっという間にどこかに飛んでいってしまうのでしう。
ピアッシングやタトゥーは、自己改造の欲求の現われだと考える人がいます。
しかし、私はそうは思わないのです。
リストカッターたちが死ぬためにだけではなく、その瞬間に自分が生きていることを実感するために腕や手首に傷をつけるのと同じように、
身体のあちこちに穴を穿ち、墨を流し込む若者たちは、そうすることでその部位を中心とした自己感覚やリアルな身体感覚を手に入れようとしているのではないでしょうか。
たとえば、これまた最近、若い人たちの間に広がっているといわれる美容目的の整形手術にしても、根幹は同じだと思います。
まぶたを二重にし、顎を削り、オリジナルとは似ても似つかぬ面差しに「変身」していく女性たちは、そうすることでニセモノの自分になろうとしているわけではありません。
逆に、ホンモノの自分になりたいからこそ、身体を改造するのでしょう。
リアリティと真実は、メスを入れられプラスチックを注入されたほうの身体にあるはずです。
彼女たちは、そう信じているのです。
ですから、昔のように「整形手術=ニセモノ」といった後ろめたさは薄まり、飯島愛のように堂々と「私は整形手術を受けまくった」と告白するタレントも現われはじめました。
そう、なにも問題はない。
だって手術を受けた後の自分が、本当の自分なんだもの……。
彼女たちはそう言うでしょう。
傷を中核に形成されるリアリティや自己同一性が、ここにもあります。
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