離人症
「現実感」がないってどういうこと?
この「現実感」のない「傍観者感覚」が強まりすぎて日常生活にまで支障を来たした状態を、精神医学では「離人症」と呼びます。
▼ 「離人症」
離人症の最初の症例は、フランス人の医師クリシャベールが1873年に著した『脳・心臓性神経症』という本に記載されたとされるが、
1911年に離人症という命名を行なったのは哲学者のデュガだといわれる。
この経緯からもわかるように、「私が私である」「この世界は現実である」という自己意識、世界意識が損なわれる離人症は、最初から医師だけでなく哲学者や文学者からも注目された。
いま、世界で最も広く使用されている精神医学の診断基準である、米国精神医学会による「精神障害の診断と統計のための手引き(DSM)」の最新バージョン(第4版)から、離人症の中核症状である「離人体験」を墓した部分を以下に引用してみましょう。
1)自己の精神過程または身体から遊離し、あかたも自分が外部の傍観者 であるがごとき感情の体験。
2)ロボットとなったような、または夢のなかにいるような感情の体験。
ここでは、離人体験は身体意識と内界意識に限ったものとして説明されています。
しかし、日本の精神医学では伝統的に、「現実感の喪失」「外界との疎隔感」という外界意識の離人体験についても重視して考えることが多か肇たのです。
言い回しはやや難解ですが、日本の精神病理学者である木村敏氏による離人症の定義を以下に紹介しておきましょう。
1)自我とか自己とかいわれるものの変容感ないし空虚感、あるいは消失感。
自己の体験や行動に関する自己所属感ないし能動性意識の喪失。感情の疎隔感ないし消失感。
2)自己の身体を含めた対象知覚界の変容感ないし疎隔感。
対象の実在感の希薄化ないし喪失。
非現実感。美意識、意味意識の消失。
3)時間体験と空間体験の異常。充実感と連続感の喪失。
これだけを読むと、「私が私である」「これが現実である」という人間の精神の根底を支える感覚がすべて崩壊しているようにも思えます。
重要なことは、離人症では知的能力や判断力などは正常に保たれ、
また「そういう自分は何かがおかしい」という違和感が強烈に残っているということです。
すなわち、彼らは、自分にも身体にも外界にも「現実感」(リアリティ)を感じられず、すべてのものや出来事との間に一枚、膜ができてしまい、いつも「傍観者」でしかいられないという事態に陥ります。
同時に、そうした事態に対して大きな苦痛や奇妙な感覚を覚えるのです。
言い換えれば、「これが現実だ」というとリヒリした「リアリティ」を感じ取る感覚は鈍麻しているのに、「現実だと感じられないのは異常だ」と感じる感覚はむしろ鋭敏になっているわけです。
このパラドキシカル(逆説的)な感覚も、また離人症者たちの大きな慧だといわれています。
典型的な離人症者の訴えは、以下のような具合です。
「自分というものが感じられないのです」
「いまここで話しているのが本当の自分とは思えない」
「感情というものが生き生きとわいてこない」
「自分の身体が自分のものではないみたい。なんだか操作しながら動いているみたい」
「友だちや家族を見てもだれだかはわかるが、親しみというものがわいてこない。好ききらいもわからない」
「悲しいことや楽しいこともぼーっと見ているだけ。泣いたり笑ったりはできるが、演技しているみたい」
「自分とまわりの間にカーテンがかかっている。自分はその外からしかまわりを見ることができない」
「学校や家で話していても、ドラマや映画のセットにいるみたい」
「いまが夢なのか現実なのか、ピンとこない」
「きれいな景色を見ても絵か写真を見ているみたい。それが現実のものだとは思えない」
「胃の中がからっぼとか足が冷えていることはわかるけど、おなかがすいたな、寒いなといった感じがわいてこない」
「話したり仕事したりしている私を、どこか遠くにいる私がじっと見ている」
ここで、やや専門的になりますが、離人症について、もう少し突っ込んで説明しておきましょう。
離人症は、精神医学的には、「解離性障害」というさらに大きなカテゴリーのなかのひとつに分類されています。
解離性障害そのものについては、若者の「自己のあり方の変化」とも大きくかかわってくることなので、ここでは細かい説明を省きますが、
90年代以降、マスコミを騒がしたいくつかの事件の容疑者の精神鑑定で、この「離人症状などを主体とする解離性障害」という診断が下されるケースが目につくようになりました。
たとえば、神戸の連続児童殺傷事件の少年、西鉄高速バス乗っ取り事件の少年、
また奈良で長女に毒物を点滴していた看護婦の精神鑑定においても、
この診断名が登場したので、ご記憶の方もいるでしょう。
また、2000年5月にバスジャック事件を起こし、ひとりの婦人を殺害した少年の審判では、この精神鑑定の結果が全面的に受け入れられ、
少年は医療少年院に送致されることになりました。
この事件で、報道で伝えられた鑑定結果によると、少年は
「自分が自分であると思えない感情が持続する解離性障害」
を呈していたとされました。
そして、犯行の直接の原因は、「自分の存在感を確認するため」だったともいわれました。
先にも述べた通り、離人症者は、いずれも、「自分が離人状態にあること」に大きな苦痛を感じています。
「実感がわかない」「ピンとこない」
と訴えながら、彼らは、
「実感を手に入れたい」
「これが自分だ、これが現実だと思いたい」
と願い、ときにはあせりを感じているのです。
あるいは、実感や現実感の乏しさを理解してくれる人や場を求めたり、膜のようなもので隔てられたリアルな世界への突破口が見つかる機会を探したりしています。
いま述べたバスジャック事件の容疑者である少年にとっては、いったんはインターネットの世界が「苦しい自分」の受け皿となったようです。
ネットといういわゆるバーチャルな世界で、現実の世界でも手に入らなかった
「自分であること」「これが現実だということ」
の実感を取り戻そうとするというのは、おかしなことに聞こえるかもしれません。
しかし、ネットやゲームの世界こそがある種の熱い感情やとリヒリするほどのリアリティの場になっているというパラドクス(逆説)は、多くの人にとって体験ずみのことなのではないでしょうか。
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