不登校は社会的ひきこもり?
不登校の80%はなんらかの形で社会参加を果たすと先ほど述べました。
の中の3割はひきこもりになってしまうというデータも存在しています。
つまり不登校のままひきこもってしまうケースと、いったんは社会参加を果たしても再びひきこもってしまうケースがあるということです。
不登校と「社会的ひきこもり」はなにが同じで、なにが違うのでしょうか。
まず同じ点は、その「状態」が同じであるということです。すなわち学校からの撤退と社会からの撤退です。
学校からひきこもること、社会からひきこもること、この状態については同じです。
不登校にしても社会的ひきこもりにしても、それは病名ではなく、状態であるということです。
しかしその根底にあるものは異なっていると私は考えています。ひとつのケースとして私自身のことをお話ししますが、私自身も学校が苦手で不登校生徒でした。
私は、学校は、「束縛されている」ような圧迫感がなにより嫌いでした。
どうしてほかの生徒と同じように、なんでもかんでも横並びにしなければいけないのか、個性を重視するといいながら、集団行動が苦手な私をダメ人間扱いするのか、効率的に行動すると人間性がないなどと揶揄されなければいけないのか……、これらのことが重なって私はどんどん学校が嫌いになっていったのです。
すべての責任は私にあります。もちろん日々の仕事の中で辛いことやいやなこともありました。けれどもそれは不登校時代とは違い、他者からの精神的圧力によって、自分自身が理不尽であると感じて、その場から撤退するということではありません。
あくまでも自己責任の中で恣意的な判断として精神科医という仕事を継続するかを決定しているのです。
つまり私は不登校であったのですが、社会的ひきこもりではありません。
今後も仮に仕事を辞めることはあっても、なんらかの形で社会とは関わっていくと思います。
不登校の人が感じる精神的負担は、束縛されているというなにかしらの圧迫感に由来しています。
これに対して社会的ひきこもりの人の精神的負担は、自分自身が社会から排除されているという焦燥感に由来しているのではないでしょうか。
社会的ひきこもりの人が社会から疎外されていると感じるのは、その人の自信のなさや人を恐れるという観念に基づいています。
不登校がより個人的な自分自身の存在への葛藤がテーマであるのに対して、社会的ひきこもりは、社会との相対的存在が葛藤のテーマになっているという点が不登校と異なっていると私は考えているのです。
では、具体的に不登校から社会的ひきこもりにならないようにするには、どうすればよいのでしょうか。
先に述べたように、不登校の葛藤テーマはより個人的な問題ですから、学校といぅ束縛から逃れることができた時点で少なくとも不登校という状態ではなくなるわけです。
不登校をただ単に学校へいかないという点だけから考えれば、学校へいく必要がなくなればもう不登校ではないのです。
この時点で多くの不登校の人は、自己の意思決定によって人生の選択を託された場合に、束縛という呪縛から解放されることになります。
束縛から解放された不登校の人の多くが、自己の意思決定のもとに、なんらかの形で社会参加を果たしていくことになります。
けれども不登校の人は、そのまま社会的ひきこもりに陥ってしまいます。
その原因として、対人関係を過剰に恐れ、人間関係に過敏で、自分への自信の欠乏が、社会的ひきこもりの人には存在していると思います。
自分自身が生かされていないと考える一方で、生かす場所に一歩進み出るのを非常に恐れているのではないでしょうか。
社会的ひきこもりに移行する不登校の人は、すべての人が対人過敏という一面を有しています。
そして不登校から脱して、社会参加を果たしながら、再び社会的ひきこもりになってしまう人も同じ面を持っています。
これを克服するための王道はなにもなく、「とにかく、なんでもいいからやってみる」しかないのではないかと私は考えています。
けれども、それをあせってはいけないのはいうまでもありません。無理強いは禁物です。
ひきこもっている人はその本人がもっともあせっているし、辛い気持ちになっているのです。
それは精いっぱい努力をしている人に「もっとがんばれ」というのと同じで、その人を追い込むだけですし、本人の意欲も損ないます。
わかっている、わかりすぎていることを、ことさらにいわれれば、意欲も削がれるし、腹も立つのです。
準備が整ったところで、本人がその気になったときに周囲が背中を押してやってください。
それでも準備を怠らずに、本人が殻を破るようにしなければなりません。
たしかに「いうは易し、行うは難し」の典型ですが、とにかくなにかしなければいけないのです。
家族やまわりの人は、手をこまねいていてはいけません。
ただし、本人に指示をしたり、詮索したり、ひきこもりの原因探しをしてはいけません。
いまなにを準備すればいいのかを共に考えていかなければなりません。そしてなにより忍耐強く待たなければなりません。
そうすれば、いつか必ず道は開けてくると信じてください。
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