統合失調症の初期症状
自生体験(思ってもいない考えや昔の記憶などが勝ってにわいてきて止まらない)
これは自分の意思ではない体験がいわば勝手にわき上がってくるものです。
そしてそれはその人にとってなじみのない、違和感が生じる体験であり、自分自身の体験が妨げられていると感じています。
たしかに私たちでも、恋愛や借金で悩んでいるときには、ああでもない、こうでもないという想念が次々に心に浮かんできます。
しかしながら、私たちは意識していなくても、その想念自体はすべて自分の心の産物、すなゎち自分が考えたものであるということを十分に理解しています。
けれどもここでいう「自生体験」とは、そのようなものではなく、その場にふさわしくないような考えが、脈絡なく、唐突にわき上がってくるのです。
けれども、本人はなかなかそれを異常な事態であると認識することができません。
そのため、「なにか自分にはそぐわないような、いろんな想念が頭の中を駆け巡る」という表現を用いることが多いのです。
具体的には次のように表現されることがあります。
「テレビを見ていたら、次々と雑念が頭の中にあふれてきて自分で制御できなくなった」
「母親と話をしていたら、会話と関係ないような昔の出来事がよみがえってきて、コントロールが利かなくなる」
「街を歩いていたら、ふっと死にたいとか、殺してやるとか物騒な考えが浮かんでくる、なにもそんなこと思っていないのに。自分でもわけがわからない」
「期末試験のときに、国語で問題を解こうとしていたら、質問とは関連がない言葉が頭の中を占めて、まったく集中できない」
「突然、なにをしていても友人の顔が頭の中に浮かんできて、落ち着かなくなる」
などの訴えがあります。
ただしこれらの言葉自体は、そのひとつひとつだけではそれほど深刻な事態には思えないことが多いのです。
しかし、自分の意思とは関係ない言葉や考えがあふれてくるようなときは、よほど注意しなければいけないのです。
気付き亢進(意識が向いているものと違う「感覚」が侵入してくる)
自分がなにかをしているときに、それとは関係のないようなことが視覚や聴覚などの五感に侵入してくるような現象を指しています。
つまり壷の感覚過敏な状態なのですが、「自分の意識が向いているものとは違う」という点が通常の状態とは異なっています。
たとえば私たちの日常でも、非常に疲れていたり、寝不足が続いたりすれば、物が落ちる音にいつも以上にびっくりしたり、人が話す声がキンキンと耳についたり、太陽思春期の子どもの心しかったり、味覚がおかしくなって、辛いものが苦く感じたり、いつもなら気にならないようなにおいがいやな感じに思えたり、毛布の手ざわりがピリピリしたりします。
けれども、これらの五感が過敏になった状態は、私たちが自分が行っている行為の延長上にあるものです。
これに比べて「気付き亢進」の過敏性は、直接的な行為の延長上にはなく、いわば脇から、あるいは横道からの間接的な過敏さとして出現するのです。
具体的には次のような言動によって表現されます。
「授業中、同級生の話し声が異常に気になってきます。先生の声が聞き取れないのではないのだけれど、話し声が自分にとって耐えられないんです」
「物が落ちる音が過剰に気になってしまうんです。びっくりしないように絶えず音楽を聴いているんですけど、どうしてもがまんできないんです」
「映画を見ていると周囲の風景までも視野に入り込んできて、集中できなくなります」
「歩いているときも、走っているときも自分の体がどのように動いているのか気になって、動きがぎくしゃくしてしまうんです」
などがあります。
漠とした被注察感(なんとなく誰かに見られている、見張られている感じがする)
自分自身の意識の中で「誰かに見られている」あるいは「なにかに見張られている」という訴えで表現されます。
漠としているという意味は字義どおり「漠然としている」ということであり、確実に見張られているという強い確信は存在しないという意味です。
この体験は、人がたくさんいるところでもひとりで過ごしているときでも生じます。
「人混みにいても、自分の部屋にいても、なにかわからないけれど、そしてそれは果たして人間なのかどうかもわからないけれど、なにか得体の知れないものに感知されているという感じがある」
「それは気配と呼んでもいいかもしれないけれど、自分を取り巻く『気』を感じて圧迫感を感じる」
などという訴えが出現します。
私たちが生活していく中でも、大きな不安を抱えていたりすれば、同じような意識を持つ事態は起こります。
ただそれが一定期間(おおむね1週間以上)継続することと、切迫感の強さによって区別します。ただし、その境界はあいまいです。
緊張困惑気分(差し迫った緊張感にとらわれる)
この症状が本人の言葉として発せられることはほとんどありません。
本人が差し迫った緊張感を漂わしていると周囲の人が感じることでしか表現されないことが多いのです。
ただ「自分の心の糸がめいっぱい張りつめていて、いまにも切れそうな感じがします。
そして自分でもこのような状態をどう表現していいのかわからないし、どう振る舞ったり、対処していいのかも、皆目見当がつきません」といった言葉で表現されることもあります。
人は追いつめられた緊張状態にあると、同様の状態に陥るのかもしれません。
けれどもこの状態にあっても、それは内的な意識として認識されています。
しかし、緊張困惑気分の状態にある人は、それが自身の意識ではなくて、なにかが起こるような差し迫った外的な侵襲として認識されるのです。
以上の4つの症状は、ひとつひとつは、正常な心身状態の延長線上で神経が過敏になっているときに現れるものと理解できる印象があります。
しかし、初期の統合失調症の場合はその多くが4つの症状すべてを呈しているし、少なくともふたつ以上の症状にわたっていることで、周囲の人はそれと気付くことができるのです。
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